代表校放浪記〜神港学園おまけ・もう一つの神港高
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仲本
2010年02月15日 23:58 visibility1802
(会下山公園から「市立神港高校」を望む。残念ながらこの日は曇り空)
毎日新聞の14日のWeb版に神港学園の北原監督のこんな話が載っていた。監督就任は1982年だが、強豪だった市立神港と間違えて来たのだと。
そういえば神港学園、初めて甲子園に出てきたときは「私神港」という表記だった。「県」や「市」なら分かるが、頭に「私」が付くのは珍しいなと思ったが、神戸にはもう一つ「神港高校」があり、こちらは神戸市立のためマスコミ各社は「市神港」として区別した。
しかし結局どっちも「ししんこう」やん、ということになり、私立神港高校のほうが甲子園出場を機に「神港学園神港高校」と名称変更したそうだ(ほんまかいな)。
私立神港学園から3駅ほど離れたところにある市立の神港高校に寄ってみた。地下鉄の駅から少し行くと学校のグラウンドネットが見え、こちらはさっきよりも急な坂になる。正門は坂の途中にあった。
兵庫県勢の球史を最初からたどるとまずこの学校の目覚ましい活躍があった。旧制・第一神港商として大正13年夏に初出場。後に野球殿堂入りした山下実は打球の飛距離で怪物と呼ばれた。新装なった甲子園に現れた、いわば怪物第一号だった。
選抜大会では1929,30年(昭和4,5年)に二年連続優勝。選抜連覇はその約半世紀後、1981,82年(昭和56,57年)のPL学園まで待たなければならない。調べてみるとその他いろいろな選手を送り出しており、ここでは収まらないだろう(あまりに大昔すぎてピンと来ないが)。
新制・市立神港高校となってからも春夏通算5回全国大会にコマを進めた。堂々たる伝統校だ。当時の北原監督の勘違いも無理からぬところか。
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