たった一度の「彦根駅伝」

  • 仲本
    2020年01月13日 16:26 visibility1899

今さらながら明けましておめでとうございます。

 

お正月から長距離走者が顔をゆがめて走っているのを見るかというのもあまり趣味のいいものではありませんが、つい見てしまいますね。Sだから(←自分で走るのは嫌い)。

 

むかし、こういう日記もあげてみましたが、

https://labola.jp/blog/user/82432/22042611

関西には箱根がなくても彦根がある。記録をよくよく探してみると、なんと「全日本実業団対抗駅伝競走大会」が彦根で行われていたではないですか。1986年12月21日、彦根市役所前をスタートして甲西町民グラウンドで折り返し、ふたたび彦根市役所に戻ってくる7区84.4kmのコースでした。大会はこのときが第31回。それまでは30回にわたって三重県(伊勢神宮外宮~賢島往復)のコースでしたが、なぜかこの年開催地が変更になったのです。

 

優勝したのはヱスビー食品、2位旭化成に約3分30秒の差をつけた圧勝で3連覇を飾りました。参考までに両チームの選手を上げておきますと、

ヱスビー 遠藤・金井・中村・ワキウリ・瀬古・谷口・新宅

旭化成 亀鷹・谷口・宗(猛)・宗(茂)・米重・西・児玉

当時はまだそんなに箱根箱根言ってなかったはずなので、選手の名前もそんなに知られていませんでした。それでも瀬古と宗兄弟ぐらいはマラソンで好成績を残していたのでたいていの人が知っていたように思います。

 

さて、翌32回(1988年1月1日)から全日本実業団駅伝は開催地を群馬県(前橋市スタート)に移しました。開催日も1月1日になり、テレビで中継されるようにもなりました。現在に至る「ニューイヤー駅伝」としてリニューアルされます。1988年といえばソウル五輪の年ですね。スポーツに関心が高まっているはずだから、実業団の実力者たちの長距離競走を正月から中継しても十分いける、と踏んだのでしょう。

 

もし、ここで開催地変更がなかったならば、お正月の風物詩は「はこね」だけでなく「ひこね」も…、でしたが、東京のキー局から全国中継するとすれば関東圏に持ってきたい、という思惑があったのだと想像します。

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