サッカーの言霊その4「国を背負う使命感とハングリー」

  • 2008年09月15日 22:17 visibility365




「交通費を前払いして下さい。」
某日本女子サッカー代表選手 日経ビジネス9月8日号より


北京オリンピックがようやく終わってくれて、毎晩競技の結果が気になって眠れない日々からようやく解放された。


よく言われるように、今回のオリンピックは、女子の活躍が華々しかった一方で、男子は情けなかった。とりわけサッカーは・・・。

エース澤穂希をボランチに据えて、彼女を中心とする日本らしいパスワークで組み立てる攻撃サッカーは、巨漢(「漢」て漢字を当てて良いのかな)ひしめくドイツやアメリカに一歩も引けを取らないばかりか、世界の中で日本はこう戦うべき、というお手本のように思えた。世界の女子サッカーの中で、最も魅力的なサッカーをしていたといっても過言ではない。


一方男子は、確かにナイジェリアやUSAといった世界の強国が相手だったことを差し引いても、緩慢なボール保持を容易く奪われカウンターを喰らう、まるで自覚のないプレーが目に付いた。ついに、このチームのサッカーには全然感情移入できないままだった。


この差は何でだろう? 


と、ずっと考えているところに、電車の中で読んだこの言葉にハッとさせられた。



その差は「その国のサッカーを背負っている」という使命感の差ではないか、と。あるいは絶対負けられないというハングリー精神の差ではないか。


ご存知のように女子サッカーはまだ完全なプロ化を果たしていない。

私の応援する浦和レッズレディースでも4人しかプロ契約していない。ほとんどの選手は普段は仕事を持ち、疲れた体に鞭打って練習し、自費で合宿や遠征に参加している。


冒頭の言葉は、2003年の女子ワールドカップでドイツに大敗を喫した後、就任したばかりの川淵三郎会長が「どんなサポートをしてほしいか」と問いかけたところ、一人の代表選手が申し訳なさそうにおずおずと手を挙げて言った言葉だ。代表の強化合宿に行くのに交通費を立て替えるのが厳しいのだという。


今回の北京の女子選手たちは、そんな厳しい状況の中で、日本でも女子サッカーをメジャーにしたい、認めてもらいたい、ここで負けたら日本の女子サッカーは終わってしまう、そういう使命感を背負って、悲愴感漂うほどの戦う気持ちを見せてくれた。

それがベスト4進出の原動力になった。



ドーハの悲劇やジョホールバルの歓喜があれほど刺激的でエキサイティングだったのは、当時の代表選手たちが、日本サッカーの命運を掛けて闘った使命感が見ているこっちにも十分伝わってきたからだ。ここで負けたら日本サッカーが衰退してしまう、せっかく立ち上げたJリーグが尻すぼみに終わってしまう!という悲愴感をブラウン管からビシビシ伝わってきたからなのだと思う。



平和で安定した若い男子選手たちは、一体どこまでこの使命感とハングリーを持てていたろうか?日本の中盤の選手は、ボールを奪われたらそれは日本サッカーのそして自らの選手生命の「死」を意味する、という覚悟でボールキープしていたろうか?


負けても給料はもらえるし、飯も食わせてもらえる、飛行機代も出る、そんな生ぬるい覚悟で試合に臨んでいたとしたら、どんなに日本サッカーの技術レベルが上がったと褒めそやされても、また同じ結果を繰り返すだろう。


それは、先般始まったばかりのA代表のワールドカップ予選にも同じことが言えるのかもしれない。



日本の男子選手は、もう一度、自腹を切って代表合宿に行っていた時代が男子にもあったことを思い出して欲しい。





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