才女とシンデレラの母校 (泉陽高校)
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Mr.black
2011年12月28日 15:22 visibility2916
前回紹介した三国丘高校から南海・堺東駅を挟んで正反対の位置に「府立泉陽(せんよう)高校」があります。
この学校、かつて春夏各一度ずつ甲子園に出場したことがあります。(1954年・昭和29年の第26回センバツと第36回選手権大会)
その歴史は大変古く、起源は明治7年の女紅場(にょこうば)だそうです。
(「女紅場」とは女性に読み書き・算盤・裁縫などを学ばせる教育施設。)
その後、明治33年に「堺高等女学校」となり、学校の創設はこの時と定められています。やがて戦後の昭和23年、学制改革で共学の公立校となり、現在の「泉陽高校」という名称になりました。
この学制改革の時、近隣にある「堺中学」との間でどちらが「堺高校」を名乗るかで揉めたようです。両校とも歴史が古い学校だったので話し合いはなかなかまとまらず、最終的に「どちらも『堺』を名乗らない」ということでようやく決着。
堺中学が「三国丘高校」、そして堺高女が「泉陽高校」となったそうです。
歴史が古く、起源が女学校だったこともあり、この学校は女性の逸材を多く輩出しているようです。最も有名なのは下記のお二人。(以下、敬称略)
歌人・与謝野晶子と脚本家・橋田壽賀子です。
与謝野晶子の実家はこの泉陽高校(堺高女)から比較的近くにあったそうです。
大阪に唯一残る路面電車「阪堺(はんかい)線」の「宿院(しゅくいん)駅」北西にある与謝野晶子生家跡。彼女の歌が一首刻まれています。(下記写真)
また、この泉陽高校は第1回の東宝シンデレラになった女優・沢口靖子の母校でもあります。彼女の在学中は多くの他校男子生徒が泉陽高校の前にやって来たという伝説が残っています。
こうやって書くと男の肩身が狭い校史ですね。(汗)
肝心の泉陽高校野球部は現在は普通のレベルのようです。時々上位に勝ち上がることもありますが、概ね1~3回戦あたりで負けることが多い印象です。
ユニフォームは大阪の学校には珍しく早稲田カラーのエンジが基調。
(アンダーシャツもエンジ。胸マークは「SENYO」。)
グランドはこんな感じです。見たところ他の部活と併用のようです。(外からの撮影です。勝手に校内には入っておりませんので。苦笑)
ところでいつも言いますように「甲子園は素晴らしい場所。しかし甲子園だけが高校野球の全てではない」、のが私の持論です。
「甲子園という夢に向かって精一杯努力する。夢がかなえば素晴らしいこと。かなわなかった場合でも努力したという青春の思い出が残る。学生スポーツとはそうしたもの」というのが基本的な考えです。
この冬を越えて来年泉陽高校がどんな夏を迎えるのか?それはグランドの神様だけが知っているのかもしれません。
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