私学の商業から公立の普通科高校へ (日新高校)
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Mr.black
2012年02月14日 14:13 visibility3933
昔から「商都」と呼ばれる大阪。
はっきりと全体的な統計を取ったわけではありませんが、大正~昭和前半に全国大会に出場した大阪の学校という観点からみると普通科の中等学校(高校)は公立で、商業学校は私学であることが多かったです。
列挙すると、
浪華商業(現:大体大浪商)、明星商業、興国商業、関西甲種商業(現:関大一高)、扇町商業、京阪商業、日新商業、
などになります。
このうち、公立の商業学校は扇町商業だけでそれ以外は全て私学でした。
しかし、戦後学制改革が行われた時期に上記のうち2校は私学から公立へと移管しました。
1校は京阪商業です。この学校は過去に一度取り上げたことがありますようにその後「府立守口高校」となり、さらに統廃合で現在は「府立芦間(あしま)高校」になっています。
あくまでも私が調べた限りでは芦間高校には現在硬式野球部は無いようです。これが事実であるならば古豪の系譜がひとつ途切れてしまったことになります。残念ですね。
そして公立に移管されたもう1校とは・・・・・それが今回取り上げる「日新高校」です。
ご覧のように現在は東大阪市立の普通科高校になっています。
この学校の歴史は大変古く、1921年(大正10年)に「私立大正学校」として産声を上げました。そして2年後に「私立日新商業学校」となります。
日新商業時代に野球部は全盛期を迎えます。
1934年(昭和9年)から1941年(昭和16年)の僅か8年間で夏1回、春5回甲子園に出場しました。前述の京阪商業もこの頃がピークでした。
しかし市立に移管されて以降、急速にその輝きは衰えていきます。公立になってからはまだ全国大会出場はありません。
そして一時期は1~2回戦あたりであっけなく敗れ去っていました。しかし近年は再び力を付けてきているようです。年度によっては上位に勝ち上がってくることもあります。
かつて一世を風靡した私学の古豪が公立に転換した後で初の全国に進むという物語のようなことが実現するのかどうか?興味を持ってみています。
日新高校のユニフォームは非常にシンプル。
帽子・シャツ・ストッキングは濃紺。ユニフォームは薄いアイボリー。漢字横書きで「日新」と胸マークがつけてあります。
大阪の学校は本当に地味なユニが多いです。(高野連の頭がガチガチ。苦笑)
なかなか年季の入った校舎。
学校はかつては大阪市内、その後東大阪の布施あたりに移転し、さらに現在は生駒山系のふもとに移転しています。学校のすぐそばは山。奈良へ行く山越えの阪奈道路がうっすら見えています。
この辺りからは夜景がきれいだと思われます。
以前マイヤキューさんが地名クイズで出されていましたね。
これで「くさか小学校前」と読みます。(←近鉄バスの停留所です。ここから坂道を徒歩で15分程度上ると日新高校にたどり着きます。)
現在は簡略化された「日下(くさか)」の方が多用されるようですが。
余談ながら日新高校から北にほんの1~2キロの場所には大阪桐蔭高校があります。ご覧のように「選抜出場」を祝う垂れ幕が飾ってあります。大阪の学校はこの強豪を倒さない限り甲子園は遥か遠くです。
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