普通の高校が起こしたひと夏の奇跡 市立浦和高校
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Mr.black
2015年10月06日 13:02 visibility24135
今回女子プロ野球の第三戦を観戦した場所は「市営浦和球場」。
この球場のすぐ北側に「さいたま市立浦和高校」があります。旧校名は「浦和市立高校」。
(なお、現在は中高一貫校になっています。)
一見住宅地にあるごく普通の公立校です。
しかしかつてこの「普通の市立高校」が全国で有名になったことがありました。
それは1988年(昭和63年)の夏のこと。
この夏の甲子園に出場した浦和市立高が勝ち上がってベスト4に輝いたのです。第70回大会のことです。
甲子園大会前にはほとんど注目もされていないノーマーク校。それもそのはず、彼ら選手自身が「全国ベスト4」になれるとは全く考えていなかったからです。
大会直前に出版された「出場校ガイド」を買って読んだ記憶ではたしか以下のようなものでした。
そもそも夏の埼玉大会が始まる前の彼らの目標は「県大会ベスト8」でした。ノーシードで、なおかつごく普通の公立校としてはよくある目標ですね。
ところが目標の県ベスト8を達成以後も彼らの勢いは止まらず、ついに埼玉で優勝してしまったのです。
そして全国大会。当時の正確なデータは持ち合わせていませんが、つたない記憶をたどるとたしかチーム打率は出場校中最下位かあるいは下から数えて何番目レベルだったはずです。飛び抜けた選手が居たわけでもなく、選手の体格もごくごく普通の高校生レベル。むしろ全国レベルの野球選手と比較した場合では劣っていたくらいでした。この学校が勝ち進むとは誰も考えていなかったでしょう。
そもそも彼ら自身が「せっかく甲子園まで来たのだからせめて1勝くらいはしたいな」程度の考えだったと記憶しています。
ところが初戦の佐賀商業戦に勝利するとここから破竹の快進撃が始まります。
2回戦で常総学院、3回戦で宇都宮学園(現:文星芸大附属)、準々決勝で宇部商業という甲子園でお馴染みの強豪校を次々倒し、ついに準決勝まで進みました。
その快進撃は「さわやか旋風」、「ミラクル浦和市立」、などど評されました。
そして準決勝。相手は名門中の名門、広島商業。この広商戦でついに敗れてしまうのですが、スコアは2-4。最後まで善戦したわけです。
一番印象的だったのは敗れてベンチ前で整列した浦和の選手たちの表情。ほとんどの選手は笑顔でした。
後にインタビュー記事を読みましたが、概略は以下のようなもの。
「僕らがこんな場所(全国の準決勝)に居ること自体がおかしいんです」
「ここまで来れたのは宇宙の何かがおかしくなっていたんでしょう」
「負けてホッとしました。このまま勝ち続けたら一生分の運をここで全部使い切ってしまうんじゃないかと思って正直怖かったです」
などなど。
決して謙虚だったわけではなく、正直な思いだったのでしょう。
ごくごく普通の公立野球部が甲子園に出て大活躍する。そうそう無いことですが、勝利の女神様が時にこんな奇跡を見せてくださるのですね。
かつて都立の国立(くにたち)高校が甲子園に出てきた時に「奇跡だ。こんなことはもうないだろう」と思っていましたが、それを上回るミラクルでした。
余談ですが、ひぐちアサさんが「高校野球マンガを描きたい!」と強く思ったのはこの浦和市立の快進撃がきっかけだったということです。
学校見物の時、ちょうどグランドでは練習試合が行われていました。そちらも見たかったのですが、なにぶん部外者ですし諦めました。
ただ、球場の最上段からはこのように様子が見えていました。グランドは広いのでこの点では恵まれていますね。
二度目の奇跡ははたして起こるのでしょうか?
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