香川の古豪2校 (高松高校・高松商業)
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Mr.black
2013年06月20日 17:36 visibility5764
高校野球で香川の古豪というと私が真っ先に頭に浮かべるのは高松商業です。
しかし香川の学校で初めて全国の舞台に立ったのは高商ではなく高松高校(当時は高松中学)でした。
高松中学は記念すべき夏の第1回大会に出場しています。香川の全国への扉を開いたのはこの学校だったわけです。
創立は1893年(明治26年)。今年で120周年という歴史と伝統を誇る県内屈指の進学校です。当初は「香川県尋常中学」という校名の男子校だったそうです。その後「香川高等女学校」と統合されて共学になりました。
この両校は創立が同じ明治26年。そういうこともあるのでしょう。高松高校の校章は二つのデザインが並んでいます。一方は男子校、もう一方は女子校時代の校章なのですね。
第1回大会に出場した高松中学(高校)。
その翌年の第2回大会には「香川商業」が出場しています。この学校が現在の高松商業。つまり中等学校野球の初期からこの両校はライバルだったわけですね。
前回の日記で登場した終生のライバル「三原・水原」。(敬称略)
高松中学出身の三原脩、高松商業出身の水原茂、この二人は学生時代からライバルになる宿命だったのでしょう。
高松中学は戦前に春3回、夏4回全国へ進みました。
しかし戦後は長い間甲子園から遠ざかります。ライバルの高松商業が戦後も引き続き甲子園で活躍していったことにより両校の全国における知名度の差は広がるばかりでした。
しかし長い雌伏の時を越えてついに甲子園に返り咲くことが出来ました。2005年(平成17年)の第77回センバツ、21世紀枠で甲子園に出場。大きな話題になりました。
文武両道の高松高校。これをきっかけに甲子園出場回数の上積みが出来ることを祈願しています。
最初の2枚は古めかしい校門(通用門?)でしたが、こちらは新しい校門。外からの見分ですが古いものと新しいものが共存する学校でした。
なお、高松高校は前回の日記で書いた中央公園のすぐ西側にあります。
そしてこちらが「四国四商」とも言われる古豪・高松商業。今さら説明するまでもない野球の名門校ですね。
学校は琴平電鉄「今橋駅」の南、徒歩5~6分程度のところにあります。(琴電「瓦町駅」からは10分程度。)
ちょっとピンボケになってしまいましたが、同校の校章。
文字が「高商」ではなく、「香商」であるのがお分かりになるでしょうか?前身の「香川商業」に由来するのです。そしていかにも商業高校らしく算盤玉を意味するひし形にしてあるわけです。
私の小さい頃から学生時代まで香川代表はほとんど高松商業でした。なので「香川」と「高商」は今でも同義語になっています。
昨今は私学勢が優勢な香川県。しかしこれらの私学は関西からの野球留学生が多いので大阪人としては何だか釈然としない気持ちがあります。
高商と高高(たかこう)の復権がならないかと毎年のように思います。
これは高商の練習風景。彼らの姿を見て思わず「頑張れ!」と叫びそうになりました。(しませんでしたが。汗)
しかし今回、気になるものを見ました。
雨天練習場の建設工事です。
これは高商が復活を懸けて野球部の強化をしていく心づもりなのではないかと思ったのです。はたして今後どうなっていくのか?期待したいです。
高松高校の白いストッキングには濃紺のラインがたくさん入っています。これは甲子園出場回数であり、出場するごとにラインが1本増えていきます。(春夏合計。なお、春と夏とで色の変化はつけていません。)
そして高松商業の濃紺のストッキングには赤2本、白2本、オレンジ(黄色?)1本のラインが入っています。これは甲子園と国体の優勝回数です。
(春2回、夏2回、国体1回の優勝)
両校のストッキングのラインが増えるところをまた見たいものです。
<追記>
その後、高松商業が秋の明治神宮大会に優勝し、新しく青のラインが1本増えました。個人的に嬉しいです。
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