消えゆく商業高校 (鶴商学園・京都商業・田辺商業)
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Mr.black
2014年05月24日 10:04 visibility16433
私が学生だった頃、全国各地に商業高校はたくさんありました。
春夏の甲子園出場校の中にも商業高校は数多くありました。
しかし時代の変遷とともに商業高校は普通科の高校へ転換するケースが多くなっていき、そしてついに甲子園出場校の中に商業高校がゼロという大会まで生じる結果となりました。
かつて「野球は商業」と言われていたのが隔世の感があります。
先日古いアルバムを引っ張り出しましたが、そこにはかつての商業高校の写真がいくつかありましたのでここに紹介します。
まずは山形の鶴商学園。
設立当初は珠算学校だったということです。
その後「鶴岡商業」となり、さらに後年の「鶴商学園」時代に初めて甲子園にやって来ました。
この当時は商業科と普通科が併設されていたようですが、現在商業科は廃止され普通科の高校になっています。
近年甲子園に復活出場しましたがその時の校名は「鶴岡東高校」。「商」の文字は消えていました。
グレー地にグリーン縦じまという珍しいデザイン。
胸には筆記体で「Tsurusho」とマークが入っています。
(直近で出た時のマークは漢字で「鶴岡東」。)
こちらは京都商業。かつては平安と京都の覇権を争った強豪でした。
しかし第63回夏の全国準優勝をピークに以降は低迷気味。
外大西、北嵯峨、成章、福知山成美、鳥羽など群雄割拠の中で埋もれてしまっています。
現在は「京都学園」という普通科の学校になり、商業科は廃止されています。
そしてユニフォームも写真のスタイルとは変わっている様子。
学校のHPを見ると帽子は白と濃紺(あるいは黒)のツートン。
胸マークは「KYOSHO」から筆記体の「Kyogaku」に変わっています。
以前と変わらないのがストッキングのデザイン。それが「京商」の名残をかろうじて留めています。(濃紺と白のツートンで白地部分に濃紺ライン一本入り。浪商もこのデザインですね。)
私が高校野球を見始めた頃、京都代表といえばまず平安、それに次ぐのが京商でした。なので現況は寂しいものがあります。
甲子園から随分遠ざかってしまいましたが、いつの日か復活することはあるのでしょうか?
続いては和歌山の田辺商業。略称は田商(でんしょう)。
あまり認知されていないかもしれませんが、私が学生だった時代は強くて箕島を脅かす存在でもありました。甲子園出場歴はもちろんあります。
写りが悪くて判読出来ませんが、胸には「TANABE」とマークが入っています。
白無地ユニに黒(あるいは濃紺?)基調のシンプルデザイン。
ここも商業科は廃止され、現在は神島(かみしま)高校という普通科の学校になっています。
数年前の春季和歌山大会で優勝し、見慣れない校名だったので調べて初めて旧・田辺商業と知りました。
神島高校の由来は田辺湾にある無人島の神島。昔から海上鎮護の島であり、信仰の対象になっているということです。
校名変更には基本抵抗ある私ですが、古来から地元の信仰対象になっている島が校名に使われるのはいいことだと思っています。
和歌山は現在智弁の独壇場となっていますが、それをかいくぐって古豪が復活してくる時もあるので旧・田辺商業の復活はあるかもしれません。辛抱強く待ちたいものです。
ところでこれは3枚目の写真の全体像。試合会場は日生球場です。
今は無き日生を駆け回る田辺商業。いろいろな思いが湧き上がる一枚です。
さらに掘り下げると写真奥の対戦相手は滋賀の栗東(りっとう)高校。県立校です。
ここもかつては強かったのですが現在は名前すら聞きません。時代の流れは強豪校の移り変わりも起こしますね。
昨今少なくなっている商業高校。将来どうなっていくでしょうか?
古いアルバムを手に取ると色々な歴史に触れられる。過去を振り返るばかりではいけないのでしょうが、でも日常の喧騒の中で時にはふと足を止めてみるのもいいのでは?と思います。まあ、お茶でも一服。(微笑)
sell古豪
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