消えた球場(20) 京都・衣笠球場
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Mr.black
2011年02月15日 15:06 visibility6324
昨年に一度「幻の本拠地球場」というタイトルで取り上げたことがある京都の衣笠球場。
昨日はその現地(京都市北区)に初めて足を運びました。以前の日記と一部内容がダブる部分があると思いますが、再度掲載したいと思います。
この野球場の跡地は・・・・・。
現在は立命館大学の衣笠キャンパスになっています。と言うかそもそもこの衣笠球場は立命館大学野球部の専用球場として大学所有の敷地内に作られたのが始まりです。
しかし当時NPBの球団数が急速に増え、試合会場が不足したためにこの衣笠球場で公式戦が開催されるようになったわけです。多く利用したのは大陽ロビンス(のち松竹ロビンス)です。
その後、1952年にNPBでフランチャイズ制度が導入され、それまでの流れで松竹は衣笠球場を本拠地としたのです。しかし同じ時期に大阪のミナミに「大阪球場」が完成すると交通至便な大阪球場での試合が多くなり、衣笠のフランチャイズは名目だけのものとなりました。
この当時のフランチャイズ制度は現在のように厳格ではなかったのでこういうことがOKだったのですね。
そして翌年に松竹と大洋が合併して洋松ロビンスになると本拠地は大阪球場に変更されました。つまり衣笠球場のフランチャイズは僅か1年で終了したことになります。それでも衣笠では時々ホームゲームが行われていましたが、やがて松竹がプロ野球から撤退して大洋ホエールズになると球団は関東の川崎球場に移転してしまいました。
プロ野球の利用が無くなった衣笠球場。その後スタンドが徐々に解体されていき、最後にはグランドも潰されて学校の建物が次々に建設されました。現在ではここが野球場だったという痕跡は敷地内には全くありません。
・・・・・しかしここがかつて野球場だったという痕跡は現在別な場所に残されています。それが下記の写真です。
???これ、コンビニじゃないか?と思われるかもしれません。(大学の近くにあるコンビニ。)
実は球場の痕跡は手前の茶色の電柱にあるのです。
この電柱の名称が「衣笠球場」なのです。(写真が横向きですみません。)
何故既に消滅した球場の名称が残っているのかというと、私の推測ですが関西電力のメンテナンス上の理由だと思われます。膨大な数の電柱の管理を行うのに土地の形状が変わったからと言ってその都度いちいち名称変更をしたらもの凄い手間と費用がかかるからですね。
この電柱が「かつてここに衣笠球場があった」という証人になっているのです。
電柱は立命館大学北側の正面入り口周辺に数本存在しています。
では問題の衣笠球場はこの広大な大学の敷地内のどこに存在していたのでしょうか?
語られている話を総合するとどうやら写真左の「存心館」(時計塔がある校舎)と右側の創思館(丸い建物)、そしてその前の中央広場あたりにあったということのようです。
球場の古い写真ではすぐ後方に山が写っているのでロケーションと照合してもほぼこのあたりで間違いないのでは?と思われます。
4が存心館。9が創思館。2が第一体育館。
こちらは第一体育館(写真右)。
この周辺がホームベース側だったとも言われています。
当時の写真がほんの僅かしか残っていないという幻のNPB本拠地、衣笠球場。
現役の学生でその歴史を知っている人はどのくらいいるのでしょうか?
これで「消えた球場」シリーズもついに20回目になりました。
そして関西のめぼしい球場跡地もほぼ回り終えました。(もしまだ抜け落ちがありましたら是非教えていただきたいものです。)
これからは関西圏を飛び出してのレポートになります。
今までよりペースは落ちると思いますが、今後も可能な限り探訪してみたいです。
ありがとうございました。
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