終わらないアトリエ







「上から目線」という言葉をよく聞く。

「何を偉そうに・・・・」ということらしい。特に、立場などが上でもない相手から、偉そうに、時には命令口調で言われることに対して揶揄して言うのだろう。

まぁ、その「上から目線」。誰でも経験はあるだろう。

しかし、この言葉が、その場面も考えられずに乱用される背景には、「人はいつでも、どこでもみな平等」という、ねじ曲がった平等意識が見え隠れする。

例えば、学校や塾での教師と生徒。
最近の子どもは、自分の価値観にそぐわないことを言われたりすると、この言葉を使う。子どもでなくとも、「権威」というものを尽く否定する傾向にある昨今、大人も同様にその場面を顧みず、そんなことを宣わっているのをよく耳にする。

確かに、そのことについて同等の立場の人間から、偉そうにものを言われれば、「上から目線」でと言うのは理解出来る。

しかし、先程の教師と生徒という関係に於いては、教師の方が偉いに決まっている。また、偉くなければ教壇に立つ資格はない。話は単純。教師は教え、生徒は習うからである。

ところが、今の教師のほとんどは人間が薄っぺらいので、保身のためか、生徒とともに学ぶとか、共に悩むなどという戯れ言がホントに好きなようだ。そもそも、一緒に悩まれる子どもも路頭に迷うだろうに・・・・(笑)

また、塾に至っては、少子化の折、子どもは「お客様」なのである。
そんな塾側の姿勢を、子どもも保護者も敏感に感じとって、歪んだ消費者意識を剥き出しにして来る。

授業に集中せず、話を聴いていなかった生徒が、もう話は次のところに進んでいるにもかかわらず、自分が聞いていなかったから、もう一度戻ってやり直せと臆面もなく主張する。金を払ってるのだから当たり前だと言葉にして言う。
どちらが「上から目線」なんだかわからない(苦笑)

学校や塾の授業料は「謝礼」としての意味合いが強いことを認識していない。以前にも書いたが、経済の原則に則り計算すれば、適正な授業料とは、私学の授業料の3倍は下らない。そんな授業料、一体どれだけの人が毎月支払えるのか?
私学であれば、国や県の助成金に頼るところが大きい。言ってみれば、子どもたちの授業料の一部は学校に通う子どもを持たない人に負担してもらっているとも言える。公立校なら尚更である。子どもは、社会にも育てられているのである。なので、彼らには勉強しない自由はない。

このような歪んだ消費者意識を煽っているのは塾である。「教育」を「サービス業」に貶めたのは塾であり、その多くは企業としては吹けば飛ぶような存在で、経営手腕もなければ、経営体力もない人間が運営している。誰にでもやれば出来ると勘違いしている輩である。

それこそ、今の時代、あるところからそれが出来る人間、できない人間に別れてしまうシステムが構築されてしまっている。ただ、自分自身のことは自分ではわからないだけ・・・・

さぁ~て、欧州危機をものともせず、確実に売れるアルバムの仕上げにでも取りかかるなかな?まぁ、オフビートを叩くことすら出来ない日本人が耳にする機会はないと思うけどねΨ(`∀´#)





♪岩田さゆり “Thank you for…” (2005)









































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