我的愛球史 第26話 僕の愛したアンダースロー

 僕は中学時代、部活をしていませんでしたが、日曜日の午後は必ず父とキャッチボールをしていました。

 父がボディビルをしていたので、トレーニングに行く前のウォーミングアップに僕とのキャッチボールをしてくれていたのです。

 たまにどちらかの投げたボールが逸れてよその家に入ったときは、シャイな父はどこかに隠れてしまい僕が呼び鈴を鳴らして取りに行っていました。

 野茂英雄投手が活躍した時、やめておけばいいのに父がトルネード投法で向かいのお家の庭へ大暴投した時は「年甲斐が無いとま正にこのこと・・・」と怒りを覚えました。

 それだけが嫌でしたが、このキャッチボールは楽しくて、2年ぐらい続きました。

 僕は中1から中2ぐらいまでは当たり前にオーバースローで投げていたのですが、中2の春頃から自分の場合は腕を下げた方が速く振れて良い球が行くことに気付きました。

 ただ、問題は僕の場合は腕を下げるとコントロールが悪くなり、暴投が増えて近所のお家の呼び鈴を鳴らしに行く回数が増えることでした。

 それでも、僕は「もし自分がピッチャーやるならサイドスローなんだな」と思いました。

 その頃は斎藤雅樹選手が全盛期で、他にも潮崎哲也選手が人気を集めたりして、サイドスローへの憧れが強かった。

 学校の休み時間、ゴムボールで野球をする時、横や時には下からボールを投げる僕に、野球部でショートを守っていたクラスメートが

「もっさいぞ!お前の横投げ」

 とバカにするように言いましたが内心「ほっとけや!」と思いました。

 でも、毎日、野球を真剣にやっている友達からすれば実際、僕の投球フォームは見ていられなかったんでしょうね。

 さて、前置きが長くなってしまいましたが、僕はサイドスローやアンダースローのピッチャーが大好きです。

 阪急の山田久志選手や西武の松沼博久選手、近鉄の佐々木修選手のフォームは「実に美しい」と僕は思っていました。

 映像ではほとんど見たことがないけれど、写真で見る杉浦忠さんのフォームも素晴しいと思いました。

 そして、僕が我が阪神では葛西稔選手と御子柴進選手!

 1987年は僕の感覚では毎日といっていいほど御子柴選手が投げていた。

 調べてみたらこの年の御子柴選手は生涯最多の42試合登板でした。本当にお疲れ様です。

 89年には完封も記録している。中継ぎだけで活躍したんじゃない!

 この時の新聞記事の写真をいまだ覚えています。

 スラッとしたマウンド姿。

 ややゆったりとした独特のリズムで・・・ピュッと低い位置からボールが出てきて低めに決まる。

 今思い出しても、いいなぁ。

 恐らく・・・僕はもし自分が野球をしていたらピッチャーを志望して、あのようなフォームで丁寧に低目を突くピッチングを目指しただろうと想像していたのでしょう。

 僕は本格派にはなれない。

 先発投手でバリバリ投げたり、野手として不動のレギュラーになってバットでチームに貢献することもできないだろう。

 でも、自分の性格からすれば、一芸に邁進することはできるかもしれない。

 例えばチームで1人しかいないアンダースロー投手になる。

 コントロールだけはチームで一番になる。

 そして、チーム内で誰より冷静な選手になる・・・。


 という、手前勝手な想像をして、御子柴選手、あるいは葛西選手に自己投影していたのだと思います。

 

 でも、今日完封した秋山拓巳選手を見て、ああ、「やっぱり本格派は良いなあ・・・」と思ったりして。

 つまりは、どちらもチームには必要ですね・・・。
 

 

 

 

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