我的愛球史 第35話 「縦縞が似合うということ」


(写真と記事は関係ありません)

 とにかく彼にはタイガースの縦縞がよく似合っていた。

 タイガースのユニフォームを着てマウンドで躍動する長身の彼には「青春の覇気」という言葉がぴったりだった。

 暗黒時代のタイガースにおいてテレビの画面で見ているだけで「球が速い!」と思うピッチャーは彼だけだった。

 好不調の波はあったかもしれないが、その好調時にはどんな相手と投げ合ってもひけをとらなかった。

 それだけの投手だった。

 球団もその計り知れない素質が分かっていたから入団から3年は背番号「1」、そして4年目からは正真正銘のエースナンバー「18」を彼に託した。

 あの1992年も8勝をあげ、防御率は2.98。

 7月の月間MVPも獲得した。

 しかし、球団幹部は何を考えていたのだろう。

 その年の12月22日(私の17歳の誕生日だった)に信じられない報道が駆け巡った。

 「野田トレード」

 スポーツ新聞の一面は彼一色。

 「トレードの相手は誰なんや?相当すごいやつが来ないと納得なんて絶対せえへんで!」

 あれは確か夕方の電車の中で、タブロイド版のスポーツ新聞の横書きの見出しを横目に怒りに燃えながら僕は家路を急いだ。

 テレビをつけると交換相手は・・・・。

 それ以上、書く気はない。とにかく、翌年に出た結果は阪神のフロントがいかに見る目がないかということを世間に改めて知らしめることになった。

 こうしてオリックス・ブルーウエーブに移籍した彼は、移籍初年の93年に最多勝とゴールデングラブ賞を獲得。

 1994年8月12日の近鉄戦で1試合17奪三振のプロ野球記録樹立。

 そして圧巻は翌95年4月21日のロッテ戦だった。

 自ら日本記録を更新する19奪三振。

 オリックスでは阪神時代を上回る54勝をあげた。

 「結局僕にはパリーグの雰囲気が合っていたんですよ」

 引退後、あるインタビューで謙虚な彼はそう語った。

 しかし、それは裏返せば阪神が好きだったという気持の表れに見えた。

 阪神を出された時の悔しさに思えた。

 こんなに自チームを愛する選手を放出する球団にいいことがあるわけはない・・・と阪神を愛するがゆえに僕は今でも言いたい。

 その後、関大一高出身の久保康友投手がロッテから移籍して大活躍。ファンとしては17年経ってやっとあの傷が癒えた気分だ。久保投手も縦縞がよく似合う。

 彼が93年も阪神に在籍したら92年の雪辱ができたかも知れない・・・なんて野暮なことは言わない。

 ただ純粋に、伝統の虎のユニフォームが誰より似合っていた野田浩司選手の姿が93年以降見られなくなったことが残念なのだ。

 野田浩司選手の生涯通算成績
 
 316試合 89勝87敗9セーブ 1614 2/3回 1325奪三振 完投60 完封14 防御率3.50

 1995年4月21日対ロッテ戦(千葉マリンスタジアム)1試合19奪三振(日本記録)
 

 


































































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