
セブンセンシズ
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ハルッチ
2009年12月15日 23:05 visibility417
みなさんこんばんは、ハルッチです。今日は突然「セブンセンシズ」についてお話ししますがご容赦ください。フットサルとの関係は大ありです。
かつて週刊少年ジャンプで「聖闘士星矢」が連載しておりました。私は連載中にジャンプは読んでおりませんが、リアルタイムでアニメを毎週土曜の夜7時から観ておりました。おぼっちゃまくんと連続していたため(私の記憶では確かそうだったような...)、正に土曜はゴールデンでした。聖衣(クロス)のサイズが、集合・合体時と人体への装着時とで異なることは元より、一体型でないことからクロスが存在しない関節と間接の隙間にストレスが印加される場合、プロテクターとしての意味を成さないのではないかという初歩的な疑惑も持たず、ただただファンタジー性にのみ自らの欲求を預けておりました。
そして、このストーリーの中で外せない
「小宇宙(コスモ)の概念」
についても、当時考える由もありませんでした。それが、大学生時に漫画の聖闘士星矢の愛蔵版を購入するに至ってからは、その意味を少しずつですが意識するようになりました。そして思うようになったことがありました。それは、所詮、現実世界においては、
「五感の総量は同じである」
と。つまり、この現実においては、味覚、嗅覚、触覚、視覚、聴覚の五感のTotal値は一定であると。それらが10ずつだったなら、Total値は50であり、50を超えることはなく、何かが増えれば何かが減るのだと。つまり、高めることができるのは、あくまで何かを削った上であるのだと。
この漫画ではセブンセンシズ(末那識)、つまり第六感(霊感や超能力)ですらデフォルトに組み入れた上で、さらにそれを超えるセンスがあり、それが対決において優劣を決定する重要なパラメータであると定義付けており、事もあろうに更にそれを上回るエイトセンシズ(阿頼耶識)すら持ち出したことは私の思考を遙かに超えておりました。
いまいち何を言っているのか分らなくなってきたため、現実に話を戻します。要するに
「一つの感覚に集中すると、他の感覚はなおざりになる」
ということです。
先日、同僚の話でそれを感じたことがありました。会社で昼食時に、久しぶりに食堂へ行った先輩と同席で食べるべく、私が2つ隣接する空席を探しているときに、いつも一緒に昼食を食べている部署の目上の方が、みんなここにいるということを伝えるべく、私に対して
「ここにいるよ」
と声を掛けられたらしいのですが、私は一切それには気付かずに、客観的には無視したように思われていたとのことです。こちらとしては、どこに空席があるかを探すべく、全ての感覚を視覚に注力したのでした。その結果、空席を見つけることができたのですが、目上の方の声掛けに対しては一切感知することがなく、そのまま気付かずに終えてしまったのでした。
その方の声が決して通る方ではなく、且つ、そんなに聴力がいい方ではない私との関係ではありますが、全く気付かなかったのも事実です。これを踏まえると、フットサルやサッカーなどのスポーツ中には、より
「味方からの声が聞こえなくなる」
ということが言えるのではないでしょうか。同僚曰く、目上の方は何度も私の名を呼んでいたらしいのですが、それに私が全く気付かなかったとのことです。
ここへ来て、はっとした事があり、ますますコミュニケーションの意味が問われることになったと感じました。それは、
「言うことではなく伝えること」
が必要であると。ただ言っただけのことなら意味はなく、相手に伝えて初めて意味があるということです。試合中に声を出せとはよく言いますが、果ては相手に伝えることが真意となります。単に言葉を発するだけでは何も意味はないのです。自己弁護のための既成事実を作り出すだけに留まり、何も問題解決には至りません。
「気付かないなら、気付くまで声を出せ」
と。口走る、ぼやく程度ならそもそもする必要はありません。言わばエネルギーの無駄遣いです。やるからには目的を達成した方がいいでしょう。ドリブルしている時や、ボールを持っている時は視覚以外のセンスが著しく失われます。これを強化することは簡単にはいきません。うまくなる以外に方法は何があるか分りませんが、ひとまずこれを解決するには
「慣れる」
しかないと思っております。普段から周りを見る習慣をつけることで、集中して失われた聴覚分を補えるかもしれません。
かの中田英寿のプレイを見てても、事あるごとに左右を見渡すべく首を横に振り、周囲の状況をインプットしておりました。刻々と変わっていく状況を短いインターバルで網膜に焼きつけ、それを前提にプレイに繋げていたものと考えます。状況が分かれば対策が打てます。あとはスピードや精度だけの話になるでしょう。かつてヒロシがパスをもらう前に必ず周囲を見渡すよう言っていたことがあり、私はそれを実施することを心掛けております。しかし、それでも限界があります。コート外の公の場ですらこの体たらくですので、これは
「周囲を意識しなければ、尚更周囲の声を聞くことは無理である」
ということが逆説的に言えるでしょう。そして私的ながら、私はボールを持ってドリブルしているときに、恐らく前方±45度しか見えなくなります。ここに受け手がいれば、パスを考えることができますが、後ろに戻すことは難しいですので、やはり声で呼びかけることが必要でしょう。
コミュニケーションの重要性について、改めて考えるようになった今日この頃です。
ではそろそろヒュプノス(眠りを司る神)の声が頭の後ろから聞こえてきたのでお開きです。ではごきげんようbyハルッチ
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- 事務局に通報しました。
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