曖昧な今井さん

 みなさんこんばんは、ハルッチです。お久しぶりです。最近は色々な面において調子が上がらずに地団太を踏んでおります。
 さて、今回のテーマは「曖昧な今井さん」です。しかし、その今井さんは一切出てきませんのであしからず。


 最近思うのですが、自分自身、「優柔不断」であり、「意思薄弱」であるということをひしひしと感じております。先週、会社の先輩とバドミントンをやって、夜飯をおごってもらえるからということでお店(ザメシヤ)に行き、食べたい物を自らお盆に取っていくのですが、



�「どれも一応食べたそうだが、決定打がなく、なかなか決まらない」



のです。
 残業で遅くなった帰りにスーパーへ寄って、酒のコーナーを徘徊していたのですが、



�「どれも飲みたいが決定打がなく、なかなか決まらない」



ので、その近辺を3周くらい徘徊し、最後には適当なローカロリーな麦汁を買っておりました。
 本日の早朝にサッカーコンフェデレーションズカップのイタリア対ブラジルを見ようと目覚ましまでセットして、一応3時半に起きたにも関わらず、
 
�「観たいけど、今日は月曜、仕事の方が大切だから、ここで試合を観ることは愚の骨頂だ」



そう思って時計のアラームを解除し、再び深い眠りにつきました。


 こう考えてみると、感情ってものは恐ろしく曖昧で不安定で不確実であり、それに何かしらを委ねるのはある種の危険性を孕んでいるということだと思いました。冷静になって考えると、どうしてもそれをするとは思えないようなことでも、その場の雰囲気や勢い等でそれをしてしまうことが多々あります。それが周りの扇動や酒が原因であったりなかったり。


 つまり、上記の���で私がとった行動は、ある意味正解だったのかもしれません。本当は心からしたいことではなかったのでしょう。すなわち、その中に解がなかったことに他ならないのです。これはむしろ深層心理に起因するものかもしれません。



�については、どれも一見美味しそうに思えるけど、本当にその時に食べたいものはそこにはなかった。

�については、飲んでも気分よく酔えそうな酒がそこにはなかった。そもそも飲む必要すらなかった。

�については、もし観れるなら観たいというレベルに留まっていた。何かを犠牲にしてまで観るほどの決意がなく、価値を見出せなかった。


 優柔不断とは言うものの、本能的にそこの選択肢に自分が欲する、選ぶべきものがなかったから迷うのだと。
 意志薄弱とは言うものの、躍動する心とは裏腹に、身体ないしは潜在意識の中では拒んでいたから断念するのだと。


ややもするとこれが答えなのかもしれません。

 一時の感情に任せて全てを棒に振るのはもったいないことであるので、極力、喜怒哀楽の「怒」は押さえて他の三因子を迎合しようと思うと同時に、何も考えずに全てのエモーションに身を委ねることへの渇望を隠せずにいる今日この頃です。


 さて、あまりよく分らない内容でしたが、今日も眠くなってきたのでこれでお開きです。ではごきげんようbyハルッチ

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