日本プロ野球って「伝統」を作ろうとしてない
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虎男
2017年10月03日 08:10 visibility310
昨日はメットライフドームへ埼玉西武対東北楽天の試合を見に行った。十亀と則本両投手の投げ合いで緊張感のある投手戦が展開され、結果は2-1で楽天が勝利した。帰宅にはレオライナーと言うコンパクトな西武線の電車を使って帰るのだが、この電車の中で見た、ファンの来ている物を見てふとこのような考えが浮かんだ。ライオンズファンの来ているレプリカユニフォームだかユニフォームタイプのTシャツだかしらないが、もうロゴマーク以外はバラバラ。あるものは白、あるものはエメラルドカラー、あるものは真っ赤なのだ。さらに楽天ファンは、あるものは白、あるものは海老茶、あるものは黒である。どこの球場へ行っても、レプリカユニフォームを着ている人たちはたくさんいる。しかも、毎年どんどこロゴマークで球団名やビジター用がわかるのだが、その不統一感は「ある意味すごい」と感じる。そして、ころころユニフォームのデザインを変えて、そのユニフォームと同じ柄のレプリカユニフォームを売り、さらにはオルタネイトを作ったり、イベント用ユニフォームを作るのが、球団の商売だと言えば、商売なのだろう。多くのファンは、そのたびに財布のひもを緩め、嬉々としてお金をだして購入している。
ユニフォームはそのチームの顔である。しかし、日本で「俺の爺さんも、親父も、あのユニフォームを見て応援していたんだ。」と言う声は聴いたことが無い。「親子三代」で同じチームを応援している人たちはいるだろう。しかし、親子三代が「同じユニフォーム」を見て応援してはいないはずだ。では、野球の母国アメリカはどうだ。メジャーリーグの老舗球団は皆伝統を重んじている。ニューヨーク・ヤンキース、ボストン・レッドソックス。デトロイト・タイガース、シカゴ・カブスなど長年同じユニフォームを着続けている。そこには、ユニフォームへの愛着だけじゃあなく、ユニフォームへのプライドがきちんと根付いていること。それをファンも理解していて「このチームのユニフォームのデザインはこれでなければならない」と言うことなのだろう。「俺の爺さんも、このユニフォームを見て育ったと言っていた。」と話せる人たちが山ほどいるって事だ。
ユニフォームのデザインをコロコロ変えることの「商売につなげる」という形。今、すでに日本人の経済格差が生まれているのにも関わらず、球団は「金の無い奴はおいてけぼり」で良いと思っているのだろうか。グッズはどんどん生産され、市場にあふれかえっている。そして、金をそういう物に使える人間たちだけが球場で観戦できるようになるのだろう。そして、貧乏な人間はテレビすら見ることがなくなり、新聞ですら毎日購読できない貧しさになっていく。日本プロ野球って、不変なものを作ってはいけないのだろうか。伝統を球団側で作らないようにしているのを見ていると、不変なものだからこそ「国技」となりえるのかもしれないと思ってしまう。相撲は平安時代から、なにも変わっていない。大銀杏を結い、さがりをつけ、回しをつけただけのスタイルの力士に不偏性が見える。不変であるからこそ、歴史が作られていくのではないだろうか。いつまでも商売のためと言う理由でコロコロユニフォームのデザインを3年のスパンで変えて行く日本プロ野球は、そのうち飽きられてしまうはずだ。不変の凄さに気が付かない人たちの「付け焼刃」に踊らされるファンたち。悲しいものを見てしまったような気がする夜だった。
- 事務局に通報しました。
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