珠玉のプレーオフが失うもの
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HiRO
2006年09月05日 03:33 visibility44
セ、パ同一のPSG方式決まる=レギュラーシーズン1位がリーグ優勝
プロ野球の実行委員会が4日に都内で開かれ、来季からセ、パ両リーグが同一形式で実施するポストシーズンゲーム(PSG)の概略が決まった。レギュラーシーズンは交流戦を24試合、同一リーグ内で120試合の計144試合とすることで合意。レギュラーシーズンの1位をリーグ優勝とし、上位3チームによる PSGで各リーグの日本シリーズ進出球団を争う。
嗚呼、あの切なくも儚い、珠玉のプレーオフの輝き...それが今年限りで失われてしまう!
自分は言うまでもなく、Hawksファン。プレーオフには、この2シーズン泣かされ続けている。だが、ここの常連さんならご存じの通り、現行のプレーオフ賛成派である。
この2年、プレーオフがあれほどまでに盛り上がったのは何故か。
あそこまで1球1打に一喜一憂し、観るものすら引き込み、自然に涙させる、その魅力は何処にあるのか。
それは、パの現行プレーオフが持つ「失うものの大きさ」故ではないか。
プレーオフに敗れれば、レギュラーシーズンを1位で通過しようと、そのリーグ優勝の称号すら失われてしまう。言うまでもなく、日本シリーズは日本一を決めるもの。そこで負けたとてリーグ優勝の称号が消えることはない。
比して、現行プレーオフの、負ければシーズン136試合の1位すら水泡に帰してしまう、その残酷さ。順位表の上から2番目にゲーム差「−4.5」と表示されるその切なさ。
それがプロ選手の必死の形相のプレーと緊張感を生み、観る者の胸を熱くする。
これが、レギュラーシーズン1位=優勝となり、プレーオフが単なる日本シリーズ出場権を争うものになれば、選手も、ファンも、ここまで必死になるだろうか?
もちろん、セ・パの優勝チーム同士で日本一を競うという日本シリーズの位置付けも変わらざるを得ない。
考えてもみて欲しい。
昨年、一昨年と、パのプレーオフと日本シリーズ、どちらが見応えがあったのか。
もちろん、ゲームの流れ、シリーズ全体の流れや、そこに至るまでに経てきたものの違いなどがあり、単純に比較するのは暴論だろう。それでも敢えていうなら、パのプレーオフにかぶりついて観た後の日本シリーズがなんとも物足りなく感じたものだ。
それは、その失うものの大きさ、その違い故ではないか。
仮に、レギュラーシーズン1位=優勝であったなら、Hawksは2003年以来パ・リーグ3連覇である。まさにHawks黄金時代を謳歌していたに違いない。
だが、その環境であったなら、パのペナントレースがここまで盛り上がっただろうか?
3位以内に残れば「日本シリーズ出場権」ではなく「リーグ優勝」の可能性があるからこそ、選手も熱くなるのではないか?
そして3連覇だったはずの若鷹達も、その雪辱に燃え、さらなる高みを目指す。そうやって、野球そのもののレベルも上がっていく。
もちろん、現行制度の「失うものの大きさ」故の理不尽さ、納得感の無さを問題として、現行のプレーオフを批判する意見も良く理解できる。現に、2004年には、自分も「レギュラーシーズン1位=優勝」であるべきだと主張していた。
だが、昨年のプレーオフ、未だかつてないほどに、その1球1球に熱くなる自分や周りのファン、ベンチで人目も憚らずに涙する選手達の姿を目にして考えが変わった。
リーグ優勝をかけ、プロ野球選手が1球に涙する、この現行のパ・リーグのプレーオフこそが、今のプロ野球が提供しうる最高のコンテンツである、と自分は信じている。
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