【ニュース】 小笠原獲得について

  • DIME
    2006年11月18日 15:48 visibility154

のっけからタイトルと違う話で始めて申し訳ないのだが、NPBの中で昨年度年俸が一番跳ね上がった選手が誰だか知っているだろうか。

(年俸に関してはほとんどが推定金額となっているので実際には違う可能性があるのを先に断っておく)

安い年俸でありながら大活躍して大幅なアップを引き出したクルーンか、7年もの超長期契約を結んだ松中か、球界最高峰助っ人野手の地位を守るカブレラか。その誰でもない、新庄剛志である。

新庄は日本ハムでの2年間で、成績で彼らに勝ち得るほどの成績を残したか、誰に聞いても答えはNoだろう。では逆に彼にそれだけのお金を出す価値があったかといえばYesだろう。彼が日本ハムにいることでどれだけ収益向上に寄与したかを考えれば安いものだ。

一例を挙げてみよう、交流戦で新庄がパフォーマンスをした6/6の阪神戦は43473名、6/7.8の試合は27831、28505人である。ちなみに1週間前に行われた巨人戦では初戦が32067人、ついで31253、40571人だった。これを参考にすると新庄1人でこの試合だけでも1万人以上は客を呼んだことになる。入場料だけで1人3000円だとしても3000万をたった1試合で稼いだことになる。

日本ハムという球団はそういう「実力以外」の部分もちゃんと評価して年俸を設定している。少なくとも新庄に限ってみればそれをちゃんと評価していた。

彼はパリーグ人気を高めることも、北海道に日本ハムを根付かせることも、パフォーマンスの数々も別にボランティアでやっていたわけではない。やるだけのことに対する正当な金銭的評価を先に年俸交渉で勝ち取っていたことを忘れてはならない。

黒田の件でも言ったが、まるでお金についてこだわってないかのような報道をされている選手たちは必ずしもそんなことはない。黒田だって今までの広島では考えられないほどの年俸を得たし、新庄は選手の実力だけでなくそのパフォーマンスについてもちゃんと評価に上乗せされたお金をしっかり得ているのである。選手にとって年俸というのは唯一といっていい自分の評価であり、それを重視するのは当然のことだ。

 

ひるがえって昨今の小笠原騒動である。 

個人的なことで言えば、報道ほどは小笠原は巨人入りに傾いているとは思わないし、残るならそれはそれでかまわないと思っていた。FAとは野球選手がようやく獲得した権利だ、好きなように使うのが当然だろう、決めることについてとやかく言うつもりは全く無かった。

ただ昨今の一部のファンのあまりに傲慢で自分勝手な物言いを見てると悪いことは言わないから移籍したほうがいいよと思えてきた。酷すぎる。

日本ハムの顔として活動し続けて欲しい、 ファンの思いに答えて欲しい、その気持ちは十分わかるがじゃあその熱意をどう表現しようとしているだろう。

今まで育ててくれた恩義を忘れたのか、MVPは自分ひとりの力で取ったものではない、その感謝を行動で返せ、etc。こんなのただの脅迫だ。

 

現時点では巨人側から年俸提示は無いそうだが、報道で言われている金額は日ハムのものを上回っていると聞く。なぜ上回るのかがわからない。

日ハムにとって大事な選手なのだろ?彼がいなければチームが立ち行かなくなるのだろ?

だったらなぜその気持ちをしっかりあらわそうとしない、「マネーゲームには参加しません」 なんて都合のいい言葉を使っているけど、ただの交渉放棄ではないか。 

なぜ球団に対して怒りの声が上がらない?どうしても必要な小笠原選手に対してどうして球界一の評価をしてくれないと怒らない?

批判の矛先が違うだろ、なんで小笠原選手個人に対して矛先が向くのか、それが理解できない。

正直ね、巨人というのはそういう役回りをする球団だと思っているからそっちの批判はまだいいのよ、ただ本人に対して日ハム選んで当然、巨人選ぶなら人でなしっていうような書き方をしてる人の多さが非常に気になる、だって巨人を選ぶのがそんなにおかしなことか?

 

自分に対して小さな評価してくれない仕事場とより大きな評価をしてくれる仕事場と、より大きな評価をしてくれる仕事場で働きたいと思うことはそんなに不自然でおかしなことか。当たり前のことだろう。

ところがその評価というものが金銭で表されているというだけで金の亡者と言い放ったり批判したりする。おかしな話だ。 

哲学的なことを言い出すようだが、お金つまり貨幣とはなんだろうか。多くの人が小学校あたりで習ったはずである。なぜお金が生まれたか、物々交換では不便だったから生まれたのが貨幣だ。

すなわち、お金というものの根源的な存在意義は「異なるモノ・サービスを客観的に評価する単位」である。お金というものはただの単位でしかない。

野球選手にとっての年俸というものは、自分の職業における能力をただ客観的に評価されたものに過ぎない。それに対して「お金には代えられないものを大事にしろ」とか言うのはおかしい。確かに「お金に代えられないもの」は存在するのかもしれない。ただその価値が一職業のもたらす価値の中でのお金で換算できる部分より大きいはずが無い。

簡単だろう、貨幣経済として成立している国家における職業において貨幣換算できない部分の方が大きな職業が存在するのは貨幣経済としての不備である。現在野球選手という職業が成り立っているのは彼らの行っている試合というサービスをしっかり貨幣換算できているということに他ならない。

例えばファンの熱意、ファンの愛情はお金に代えられないという、これは全く持って嘘だ。選手への熱意や愛情というものはグッズの売上げや入場料収入に直結する、つまり貨幣換算できている。問題は換算できたその貨幣は選手本人に入るのではなく球団に入るということである。そして本来ならばそれを生み出した取り分として球団は選手に再分配しなければならない。

 

昨年新庄剛に対して日本ハムが見せたのは2.2億のアップだった。それに対して小笠原に対しては単年度平均で1.2億のアップで5億である。

小笠原の存在によって生み出される利益はいったいどれだけなのか。もし残留したとすれば新庄引退の来年以降球団の看板としての役割において小笠原の比重は大きくなるだろう、むしろ今年の新庄以上の比重がかかることにもなりかねない。看板選手である彼個人だけで生み出される利益も相当多くみこまれる。

また今年の日本ハムを見ても明らかなように単純に人気選手がいるだけでは一定以上の客は望めない。チームが強くないとどれだけ選手だけが人気でも多くならない。そういう意味で単純に戦力として考えたときにも、日本ハムの打線というのは彼という一人の強打者を中心とした構成であるからその比重は非常に大きなものだろう。

実質的に言えば実力以外の部分で新庄には2.2億もの評価をしていた。それに加えて小笠原には戦力としての実力も備えている。私からすればどう考えても日本ハムにとっては小笠原という選手は3年15億程度ではすまない大きな比重を持った選手ではないかと思うし、彼はそれ以上のお金を生み出せる選手だろう。 

 

日ハムに彼がいるときに球団が得られる利益と彼がいなくなった場合のそれとの差、つまり日ハムが小笠原を失った場合の逸失利益はいったい幾らになるだろうか。

球団が本当に評価すべきはそういう観点からではないか。他の選手と比べて差が大きくなりすぎるからとか、球団の総収入からすればこんなもんだとかそれは球団側の勝手だ。

彼の存在がいったいいくらお金を生み出すのか、それが選手に対する評価というものだろう。

 

にもかかわらず「マネーゲームには付き合いません」といっている日本ハム球団こそ日ハムファンは批判すべきではないか。

彼らが付き合わないといっているマネーゲームは巨人とのモノじゃない小笠原とのモノだ。小笠原が球団にいたときに生み出すであろう「利益」の取り分についてこれ以上譲歩しないと言っているのだよ、それ以上の利益は球団の取り分として譲らないと言っているのだよ。それに対して巨人はより多くの取り分を小笠原選手に渡そうと言っているだけだ。

もちろん日ハムと巨人では生み出すことの出来る利益そのもの大きさも違ってくるだろうが、それは球団の経営努力とその結果の問題であって選手個人が気にするのは取り分としての絶対額である。

選手の年俸争いというものは単純に球団同士の争いではない。その選手が生むと予想される潜在利益のうちどれだけを選手に分配しますよという争いだ、よりあなたにサービスしますよという争いである。お金を出す球団と出さない球団、どちらのほうがより選手のことを考えているのか、どちらのほうがより選手にとって素晴らしい球団なのか、自明であろう。

 

あなたは「君には50万支払う価値があるしそれだけの仕事もしてるけど、うちは金がないから10万で働いてね、うちに世話になったんだから当然でしょ」って言われて、はいそうですねって思うのか。

周囲の人が「オマエが一人前になったのはこの会社で俺たちが応援して指導してきてやったおかげじゃないか、その恩義を忘れたのか」って言うのと「オマエが一人前になった以上50万ぐらいは当然もらうべきだ、一緒になって会社と交渉してやる、頑張ってもっと会社を大きくしてオマエの取り分も多くしてやる」って言うのとどっちがありがたいか。

お金というのは評価の尺度に過ぎない。5億ももらってるのに6億の方がいいというのはわがままだというのは間違っている。尺度である以上より高く評価してもらいたいというのは根源的な欲求だろう、プロスポーツ選手のような向上心がないと成功しないような職業であるならばなおさらである。そこにあるのは金額としての絶対的な価値ではない、より高く評価してもらいたい、より高みへ上りたいという相対的な価値の追求である。

それを「1億っていうのは平均年収の何倍だから十分もらいすぎだ」とか、「5億ももらっておきながらもっと求めるなんて金の亡者め」なんていうのは、 お金という尺度に対して自分の中で勝手に上限をきめてこれ以上は同価値だと断じている間違った考えである。「1,2,3,4,5,6,それ以上はたくさん」みたいな上限を設定しているわけだ。

10万を20万にしようと思うのも5億を6億にしようと思うのも「自分の仕事の社会における価値をより大きくしたい」という欲求としては全く同じだ。5億でも十分多いのだから6億を求めなくてもいいじゃないかというのは、5億と6億を「想像できないぐらいたくさん」という同じ価値にみなしているからこそいえる言葉である。

 

小笠原選手がどこか球団を選んだとすれば、その球団は小笠原選手にとってもっともいい評価をしてくれたと思える球団ということである。選んでくれなかったほうの球団は選手にとって魅力的であることへの努力が足りなかった球団である。

いま日ハムファンがしていることのうちどれだけが小笠原にとって日ハムの魅力を知らしめることとなっているだろう。残って当然という風潮、ファンの希望を当然のもののように押し付ける圧力、相手先球団への誹謗中傷、自球団に対するアピール不足。

ほんとうに残留して欲しいのならするべきことを間違っているのではないですか。

例えば小笠原が残留すればシーズンシートを買いますという署名だったり、同様にグッズを1万円買いますって言う署名をなぜしようとしないのか。逆にネガティブキャンペーンでもいい、今年の入場券の半券を集めて、小笠原が出て行ったらこれだけ入場した私たちは来季は応援に行きません、とかすればいいじゃないか。

1万円署名が1万人分集まれば1億になる。実効性はともかくとして球団に対して大きくアピールすることになるだろう。小笠原を失うことで得られなくなる利益の大きさを知らしめることになるでしょう。

 

やること間違ってませんか?ほんとうに残って欲しいと思ってますか?

今年わざわざ札幌ドームまで試合を見に行きました、北海道という地にどれだけ日ハムが根付いているか、あんなにチームの看板やポスターがある町は都心では浦和のレッズぐらいですよ。

巨人ファンの私が言うのもなんですが、正しい方向にあのファンが向かえば小笠原を残せるだけのうねりが生まれると思います、それだけの土壌があります。でもなんか変な方向に向かっていてそれをいかせていない気がします。

とりあえず、小笠原がどんな選択をしようともそれは彼個人が獲得した権利の正当な行使の結果である。それが自分の希望と合おうが違おうがそれを尊重するのが野球ファンとして正しいことではないのだろうか。

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