【ニュース】 心に残った言葉

  • DIME
    2006年12月22日 02:52 visibility73

先日書いた日記にて、「年俸というものは、自分の職業における能力をただ客観的に評価されたもの」だと書きました。

あの日記では野球選手に限って書きましたが別にこれは野球選手に限った話じゃなくて日本のような資本主義社会として成立する国で働いていればどんな職業の人であっても同じだと思います。

自分が稼いでいる金額とは自分が担っている役割や自分のやってきた成果、それらが客観的にどれだけ社会に貢献しているのかが算定された金額であると思います。

 

なんでこんな事を書いたかというとオリックスの吉井投手が下のような発言をしているのを報道で読んだからです。そのプロ意識の高さに改めて深く感銘を受けました。

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5日の交渉後は、次回決着を匂わせていた。それが変わったのは、11日から行った米国自主トレがきっかけ。アリゾナ州フェニックスのトレーニング施設でメジャーリーガー時代の知人に会うたびに「そんな数字(年俸)でやってるのか?」と仰天された。

 「お金がほしくて文句を言ってるわけじゃない。選手としての存在をはかるのはやっぱり年俸。そう言われて、恥ずかしい思いをした」。

ニッカンスポーツ

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吉井投手にたいする評価が幾らぐらいが適正なのかという問題は別にして、人にそう驚かれてしまうことを「恥」と感じる意識があることにプロフェッショナリズムを私は強く感じます。自分の仕事に対する誇りを感じます。

吉井投手の場合は違うみたいですが、一般的にプロスポーツ選手が年俸交渉するときはもちろんお金が欲しいという意識もあるでしょう。

でも「プロ選手がより高い年俸を求める行為」は単純に金が欲しいって意味だけじゃなく自分のスポーツ選手としてのアイデンティティとしてプロ意識の発露として「よりスポーツ選手としての存在を高めたいための行為」でもあるのです。それを吉井投手は言いたいのだと思います。その存在価値を換算するのがお金であるに過ぎません。

日本ではより高いお金をもらうことを悪行のように報道しすぎです、しかも同じ事を日本でやったら悪者扱い、外国でやるのはあちらの習慣でOKと理の通らない批判の仕方すらしています。明らかにただの僻みですよ。

プロスポーツ選手は自分たちの社会における存在価値を高めるためにより高い年俸を目指しているという側面も大きいことをファンはもっと認識しておくべきではないでしょうか。

願わくばこういうプロ意識の高い選手が日本でももっと増えて欲しいですし、こういうプロ意識をもった選手を評価してくれる社会であって欲しいものです。

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