【サッカー 清水】 復興の兆しは一夜にしてならず(長文注意日記も含む)
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太田町見付
2011年07月15日 23:50 visibility512
夜間照明が復旧して最初のホームゲーム。そのような記念すべきゲームで、よしんばあのような終盤の猛攻を見せられれば、この際いっそヒールに徹しても悪くはないと思う気持ち。だってベガルタの無敗記録を止めたのはうち。ならば毒喰わば皿まで。
でも、終了のホイッスルとともにいつもの理性が戻ると、やはり静岡県人のおっとりさ、優しさが頭をもたげ、ここで勝たなくてよかったと安堵する自分。さすがにある意味、寝覚めが悪くなる。結局はヒール役になりきれないヌルサポと、お公家さんチーム。
スコールまがいの夕立が上がると、そこには再び真夏の太陽。地下鉄が高架橋を駆け抜けるさまは、まったくもって、いつか見た光景。四か月前この街にあんなことがあったことすら忘れさせる。
それでも、スタジアム内に入れば各チームからの復興のメッセージ。そして懸ける想いの金色の短冊。仙台名物七夕飾りにその想いをこめて。
ゲームは、序盤は清水優位に進むも、相も変わらず、中盤でのためがきかず、前への押し上げができない状態が続く。そのため、カウンターでの攻撃にひやりとさせられる場面が幾度となくあった。
前線への配球に工夫がなければ、結局のところ相手の出方待ちのため、後方での安易な横パスが続く。これはどこかで見た光景。なんのことはない、ホームでの仙台戦となんら変わらない絵柄。
サイドやロングボールを使い、攻撃を仕掛ける仙台に、もともと脆DFがいとも簡単に破られるようになると、続くピンチ。これまたどこかで見た光景。
ケンペーの神ががり的な献身いや渾身の好セーブでゴールを割らせない。まさに翌日の河北新報の写真がその情景を物語っている。
夏の暑さを忘れる肉弾戦。仙台の猛攻をしのぎ切れば、再びめぐるチャンス。およそ、400名程度であろうか、皆の声が一つになり響く♪ゴールコール♪
それでも決めきれないはがゆさ。やるせなさはスタジアム全体に広がる。
それは、チームの色が違えども集まった11500人皆が思うこと。
ゲーム終了後、ベガルタの選手たちがアウエイ側にもあいさつに来た。そこに湧き上がる♪ベガルタ仙台♪コール。そこはガンバってもらいたいという気持ちの発露。サッカーを愛する同じ仲間だから。
結局ユアスタ土産は、萩の月ならぬ勝ち点1のみ。
そして、がんばろう宮城・東北Tシャツ(2500円)。
【ここからは日記】
昨日の敵は今日の友。先ほどまで、敵味方であった、サポーター同士であるが、ベガルタサポの案内で仙台市内に地下鉄で移動。
ベガサポさん御用達の居酒屋さんにて懇親会。総勢50名以上は集まったでしょうか。当然のことながら店内は貸切。ワイワイ、がやがや、ゲームの暑さのためか、ビールが気持ちよく進みます。
仙台サポさんから、チームのことはもとより震災直後の街の様子など生々しくもある貴重な話を聞くことができました。
(写真は仙台のコールリーダーだそうです。うち(清水)のE朗くんや、うちの(甲府)F崎くん、うち(福島)のKくんよりカッコいい[d136])
酒が進むサポーターのすることといえば、放歌高吟。ヱスパサポのサンバ隊の一人が、ベガルタの応援チャントを次々に唄い、それに合わせて清水(仙台ではない)サポが唄います。結構ベガルタのチャントって歌いやすいですものね。
また、仙台のコールリーダーがロコロコを歌うなど、和気あいあいで盛り上がった一夜です。
翌日(木曜日)は朝7時に仙台駅東口に集合。
ここからバスで、県南部の亘理郡山元町に移動します。
現在、常磐線も不通であるこの町は、震災の際ご多分にもれず、津波の被害にあいました。
この町で、各種の捜索の際、自衛隊が集めたのは各家族の思い出の写真。その数は20万枚だそうです。 それらは当然、泥にまみれ、海水、雨水に浸かり判別できるものではありません。
一枚一枚、洗い、汚れや泥を落とし、綺麗にして持ち主に返すことになります。当然、持ち主は既にいないものもあるかもしれません。
そんな、写真の洗浄のお手伝いを34名で行いました。
一枚一枚丁寧に水洗いする、単純ですがやはり人手のいる作業。 いつもは、東北福祉大の学生さんがボランティアで行っており、今回はこれに加わりました。
泥にまみれた写真、それらはやはりその家族の歴史。写真の裏に撮った日付、写る人の名前が書いてあったり、モノクロの昭和三十年代を彷彿させるもの、手のひらサイズの戦前のもの、当然、結婚式の写真や、友達とディズニーランドに行った写真なんかもあります。
そんな、写真の泥を水洗いするのですが、中には、海水に浸かり反応をおこし、絵が全くないもの、黄色や赤色の斑点だけになっているのも相当数あります。
それでも、役場の方や、ボランティアのリーダーの方からは、「それらの写真も水洗いして下さい。」とのこと。いるいらないの判断は私達がすべきものではなく、それらの持ち主がするもの。 それはすごく当たり前の話。その家族にとっては大事な宝物。
ここで、水洗いた写真は役場で展示し持ち主に引き渡すそうです。
また、画像をデータに取り込み、補正しそのデータをデータベース化し、保管・管理し持ち主を探すとのこと。
www.town.yamamoto.miyagi.jp/jishin/pic_mono_open1.html
わずか半日程度の作業ですが、身の丈にあったボランティアってものもあることを実感。
当然、山元町の場合、行政機能が残っており、そこまでできる力があったこと。被災自治体の中にはまだそれらのことは優先順位がはるか下にあるところも。
ボランティアごっこだったかもしれませんが、そんな作業もあり、復興への一助であることを実感した次第です。
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