やたら元気なクソジジイ


今日は一日時間があったので昼間から練習に出た。
昼にグラウンドに行くと、いかにも年金生活者といった人たちがソフトボールをやっている。適当な時間になるとボールを一山、カゴごと置いたまま帰ってしまうのに誰にも盗まれないと言う、貫禄と言うか何ともアンタッチャブルな人たちである。
さすがに今日は暑さで参ったのか殆どがベンチに座り込んでいる。
オッサンと言っても連中よりは僕は若い。若さが弾けている。
走り込みもそこそこにアンダスローでボール投げを始めた。
しかし、どこにも異常な人と言うのはいるもんで、相手を捕まえ一人、ノックバットを振ってヘバらせている鬼のようなジイさんがいた。
ノックからみんなが逃げてしまった時、鬼の目に僕が止まった。
「受けたろうか?」
「お願いします」
すると「近いんと違うか」と言って後ろへ後ろへと下がらせる。戦前の野球はキャッチャーまで20メートルあったんか!!!
取り敢えず投げ始めると。さすがにグラブが遠い。
変則投法なのもあるが投球より返球が明らかに速い。
「遅いなぁ、ハエが止まるで」

夕方に帰って来て、さすがに僕も考えた。
まず投手・捕手間の正確な距離である。メールの処理をした後、近所のホームセンターで20メートルの巻尺を買ってグラウンドに戻った。確かに今の僕の24歩だと17メートル強で、26歩くらいが18.50メートルだった。
次に僕が考えたのは「球速が戻らないから変則にする」と言う考え方についてだ。小手先のそんな逃げしていても先が知れているのではないか。まずは投げる筋力を付けて球速を追求してから微調整に入るのが王道なのではないのかと言う事だ。
そこで考えたのがフォーム、コントロールを二の次にした筋力アップのための投げ込みだ。休投日を取りながら筋トレをして投げる日には200とか300とかマシーンのように投げ込む事にした。それで肩やヒジが壊れるなら本望だ。今日は昼夜併せて200球は投げた。帰って階段昇りと筋トレだ。明日は投げれないだろうがストレッチを入念にして筋トレは強行する。
日曜日は補欠なので試合から帰って昼から登板だ。

僕は観音経と言うお経が好きだ。まずお釈迦さんが観世音菩薩に頼めばどんな願いも叶い、どんなピンチからも救われると言う事をクドクドと語る。殆どの宗派ではここで読経を終えてしまうようだが、本当に好きなのはここからだ。聞き手が「分かりました。ところで観音さんはどんな姿で教えを説いて救ってくれるのか」と聞くと、
「普通の王の姿で救うのがふさわしい相手には、普通の王の姿で現われて教え、徳のある富豪の姿をとって救うのがふさわしい相手には、徳のある富豪の姿で現われて教え、在家のまま修行する人の姿をとって救うのがふさわしい相手には、在家のまま修行する人の姿で現われて教え、役人の姿をとって救うのがふさわしい相手には、役人の姿で現われて教え、家柄のよい人の姿をとって救うのがふさわしい相手には、家柄のよい人の姿で現われて教えます。  坊さんや尼さんや男子の在家信者や女子の在家信者などの姿がふさわしい相手には、各々それに応じた姿を現わして教えます。先ほどの富豪や在家の修行者や役人や家柄のよい人の妻や娘の姿となって救うのがふさわしい相手には、各々それに応じた姿を現わして教えます。男の子供や女の子供の姿をとって救うのがふさわしい相手には、その姿で現われて教えます」
要するに人は互いに救いあうと言うハナシであると僕は解釈している。

連日猛練習を自分に科している理由は、「試合には出さない」と言う監督や今日出会った元気なクソジジイのお陰に違いない。そう考えるとまさに観音様である。

しかしだなぁ、ジジイ!!
ソフト用のグラブで手を腫らして「チョット緩く投げてくれ」と頼んでも許さんぞ!!! 
覚悟しとけ!!!




























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