北大津高校の奇跡


優勝候補筆頭の横浜高校に勝ってしまった。
実を言うと僕は中学まで滋賀県滋賀郡志賀町(去年、大津市に吸収合併されてしまったが・・・)と言う所に住んでいた。
北大津高校は京都から湖西線で当時僕の家の最寄駅であった堅田駅まで来る途中の雄琴駅の至近に1984年に設立された公立高校なので、1971年生まれの僕は新設当時から入試も含めてよく知っている。
当初の予定校名は雄琴高校だった。
Wikipediaによると、
『雄琴という地名は、平安時代の貴族、今雄宿禰の荘園があり、その「雄」とその邸からはよく琴の音が聞こえてきたことから、「琴」をとって雄琴と呼ばれるようになった』
などと優雅な由来も紹介されているが、雄琴と言えば誰が何と言ったって天下に名を轟かせる、かの不夜城・大ソープランド街である。『歓楽街の代名詞』と評してもいいだろう。
『雄琴高校』などと履歴書に書こう物なら、助平な人事のオッサンなどが「ああ、あの雄琴ね」など言いながらニタニタしている画が浮かぶ。(実際には学校は雄琴温泉からかなり離れた山の中腹にありネオンのネの字も見えないのだが・・・・)
そんな経緯から北大津高校と命名されたと言う話だったが、そのせいもあるのか設立当初から不人気校、平たく言うと偏差値底辺校であった。
僕が中学生の当時、滋賀県は県内に殆ど私立高校がない事情から、滑り止め高校を受験できない中学生が多く、ほぼ100%の合格率を確保する為に進路指導で各校が正確に受験先を指導していた。その為、偏差値による輪切りが徹底されてしまう傾向があり、北大津高校は新設から底辺校へのデフレスパイラルを転げ落ちていた。
北大津高校設立の翌年の1985年には隣にある底辺校の堅田高校が夏の甲子園に出場した為(その昔・元中日の都裕次郎投手を輩出した事もある)、所謂『スポーツ馬鹿』もそっちに行ってしまう事になり、北大津高校は新設から裏ぶれたイメージしかない。
僕の記憶の北大津高校は雄琴駅で湖西線に乗ってくる地味な不良達が、だらしなく床に車座を作り、物静かにタバコを吹かしている寂しい風景である。そう言えば北大津高校に進学した僕の同級生は、卒業後職が続かず、それでいてプライドばかりが高く「慶応大学に行く」などと見果てぬ夢を語りながら、勉強する素振りも見せない、まさにニートのはしりであったか・・・・・。

そして、僕は滋賀を離れた。

その北大津高校が東北高校、横浜高校と撃破して、「常葉菊川と対戦するのが楽しみ」などと抜かしている2008年である。
調べていて「雄琴駅」が今年から「北大津駅」ならぬ「おごと温泉駅」に改称された事を知った2008年である。

時代は流れた。。。。。
つくづく。。。。。


















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