去り行く者たちの記録と彼らへ贈る言葉 2012(3) 大立恭平・古川祐樹
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舎人
2013年02月16日 17:41 visibility4858
随分、ここに来られないでいました。凡そ2か月ぶりの更新再開です。実は少し体調を崩し、病院通いをしていたため、なかなかここに来ることがしんどい感じでした。その間、色々な人から心配するメールやメッセージをいただきましたが、第二二軍が廃止されたことがショックで巨人のことに触れるのが嫌になったなどということはありません。それどころか話したいことは山ほどある感じです。しばらくは長くPCの前に座ることが厳しいのでやれることは限られていますが、少しずつシーズンインに向けて気持ちを高めて行きたいと思います。
さて、私はオフの間にやろうと思っていたことが3つありました、戦力外になった選手たちの思い出を振り返ることと、ルーキーたちの話、そして新シーズンに期待の若手選手たちの話です。しかし、春季教育リーグまで1か月を切り、全てを話すことは到底無理だと思います。したがって、まずは戦力外の選手たちの話をやり終え、昨シーズンのルーキーたちの話や期待の選手たちの話は、教育リーグが始まってもしばらくはレポと平行してやって行こうと思います。
まずはやり残した戦力外の選手たちの話の続きです。今日は大立と古川の両左腕について振り返ってみたいと思います。
大立恭平(25)投手 戦力外→ソフトバンク育成選手契約
今年からロッテの二軍コーチに就任した小谷コーチは良い投手の見本として「ヘッドが走る」という表現をしていました。これはボールが指先から離れる瞬間を表現したもので、ヘッドが走れば走るほどボールに強いスピンがかかり、球威が増し、最後まで失速せずに生きた球が行くのだそうです。そのヘッドの走りが良い投手の見本として小谷コーチが宮國と共に名前を挙げていたのが大立でした。確かに大立の球は球速以上にキレを感じ、三振を奪える球質だったような気がします。しかし、小谷コーチは大立の危うさを同時に話していて、野球を趣味の延長程度の意識でやって来て、きちんとした練習メニューで野球に取り組んで来なかった大立は、練習の負荷を上げるとすぐに故障をしてしまうと、育成の難しさを挙げています。
大立の球歴をざっと調べてみると、確かに出身高校は甲子園に出場経験のない岡山の興陽高校であり、大学も地方リーグの岡山商科大でした。興陽高校にはただ単に家が近いだけという理由で進学し、野球も高校で辞める予定だったそうです。それが3年生の県大会で大会タイ記録の21奪三振でベスト16に入ったことで、岡山商科大から強烈な誘いがあり、その説得に折れるようにして大学まで野球を続けることになります。このようにそれまでの大立は野球で将来身を立てようという気持ちは毛頭なく、なんとなく流されるようにして野球を続けて来た感じでした。
そんな流れに乗っかったように野球を続けていたことが祟ったのか、大学入学後の大立は2年の春に左肩を痛めてしまいます。原因は不明で、1年近くたってようやく原因の一端が解明されたものの、その後はダマしダマしの投球をするしかなかったそうです。しかし、本来の調子とはほど遠い大立の投球でしたが、時折見せるキレの良いストレートは関係者の注目のものとなり、3年の秋に大学日本代表候補に選ばれたのでした。そのことがきっかけで大立はドラフト候補生となり、巨人から育成ながらドラフト指名されることになったのでした。
大立はMAX152キロ左腕という触れ込みで入団しました。しかし、入団後に実際の投球をする段になると、以前から痛めていた肩の状態があまり良くなく、肩を庇うあまり今度はヒジを痛めるなどして、痛々しい投球をするしかありません。そのことで大立は入団1年目の春、ついに肩を手術することを決断したのでした。大学時代はいつまで続けるか分からない野球のために、体にメスを入れることなど受け入れられなかったものの、プロとして野球を続けることを決断した以上、このままではいけないと思ったのでしょう。結局、この年はリハビリだけでシーズンが終わってしまいました。大立はルーキーの年に公式戦、非公式戦を含めて1試合も出場しなかった訳ですが、このように大きく出遅れた育成選手のことなど誰も気に留めること無く、私も人知れず消えて行くのだろうと思っていました。
そんな大立が2年目のシーズンからは若手ファンの間で話題に上がるようになります。キャンプの終盤に実戦登板し、ヤクルト二軍やアマを相手に好投したというのです。そして、私はそのキャンプでの好投を耳にしてしばらくして、実際に大立の投球を目の当たりにすることになりました。宮崎から選手たちが関東に戻って来た2011年の3月6日のことでした。ロッテとの教育リーグの試合で大立が突然リリーフとして登板したのです。噂に違わぬ素晴らしい躍動感でした。しかも速い!その時の率直な感想として「こんな良い投手が巨人にいたのか!!」というものでした。そして、その関東での初登板の4日後の3月10日、西武ドームで登板した大立はプロ入り後初めて球速表示をファンの前で提示することとなります。その試合で大立のMAXはなんと146キロを記録したとか。辛めのガンとして知られている西武ドームでこの数字は大したものです。菊池雄星の初登板のMAX144キロよりも速かったということです。にわかには信じられませんでしたが、その後大立は震災を挟んだ3月26日のジャイアンツ球場で145キロ、4月9日は147キロ、さらに4月22日には148キロを叩き出します。MAX152キロという触れ込みは本当だったのです。がぜん、大立のことは注目せずにいられなくなったのでした。
その好投の報は球団首脳やフロントにも届き、大立には支配下契約の可能性も囁かれていたようです。しかし、その好投は長続きせず、4月中旬に再び肩に異常を訴え登板しなくなります。夏場に一旦復帰し、イースタンでも数試合登板したものの、本調子ではなかったらしく、その後はチャレンジマッチや第二二軍などで登板するに留まりシーズンを終えてしまったのでした。あの春先の快投を思い出すにつけ、ケガがちの体質が悔やまれるばかりでした。
そして、昨シーズン、3年目を迎えた大立は、キャンプで一軍帯同を許され、オープン戦にも登板することとなります。そこで両高木や星野らを相手に、1軍の中継ぎ左腕の枠を争うこととなりました。抑えた試合もあり、打ち込まれた試合もあって、結局は枠に喰い込むことは叶わず、支配下登録も見送られたまま開幕を向かえることとなりました。しかし、時折見せる快速球やキレの良い変化球は内外に強く存在感を示し、阪神の金本などは宮國よりも脅威に感じると話したりしています。2年目よりも球威はやや抑え気味ながら、変化球の精度は向上しており、より実戦的に成長していることを感じさせました。
一軍の中継ぎ左腕枠の争いに敗れた大立は二軍落ちして開幕を迎えます。ところが、開幕間もない4月16日、大立は突然支配下入りを果たすこととなります。普通は開幕前か、支配下契約期限ギリギリの7月頃にこういった決定はなされるのが通例ですが、その頃の巨人は開幕直後のもたつきで低迷しており、久保や越智の離脱などもあったため危機管理の意味もあっての支配下契約だったのではないかと思います。
支配下選手となり、今後が大いに期待された大立でしたが、ケガがちの体質だけはどうにも変えることができずにいました。5月を終えた頃に左の前腕部を痛めて7月の末まで長期離脱です。そのためにせっかく選ばれたフレッシュオールスターも辞退することとなってしまいました。さらに9月3日の試合を最後に、それ以降、フェニックスリーグを含めた一切の試合で登板すること無くシーズンを終えたのでした。未確認ですが、おそらくまたどこかを故障してしまったのだと思います。
そして、10月5日、大立は星野とともに自由契約となりました。星野は育成での契約継続がはなから予定されている節でしたが、大立に関しては一切無く、トライアウトを受けて移籍先を探すとのこと。私は自由契約になったのだからケガの具合が相当悪いのだろうと思いましたが、同時に、絶対にもったいないと思いました。これは後に石田雄太さんのコラムで事情を知ることとなりました。大立に関しては星野と同様に育成での契約継続の予定だったものの、育成に戻るくらいならチームを出たいとの希望して大立は退団の道を選んだとのこと。育成選手制度については別の機会にじっくりと考えてみたいと思いますが、自信と危機感の表裏一体の感情が大立に巨人退団の道を選ばせたのだと思います。
【プロ野球】何のための制度導入だったのか?育成選手の知られざる現実
非常に思い入れを持ち、いつか山口に続く中継ぎ左腕の柱になることを夢見ていただけにいまだに残念でなりません。しかし、このケガの多さはプロとしてやって行くにはあまりに危うく感じますし、将来を計算することもままなりません。体のバネと土台がアンバランスなのでしょう。小谷コーチが話していたように、野球の本流を歩いて来なかった大立は、少年の頃からプロを目指して土台作りに励んで来た選手に比べてあまりに体が貧弱なのではないかと思います。移籍したソフトバンクでぜひとも成功して欲しいともいますが、まずは遠回りでも良いからは故障をしない体作りに励んで欲しいと思います。
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古川祐樹(27)育成投手 戦力外→巨人打撃投手
大立は152キロの本格派投手という触れ込み通りでしたが、その入団前の触れ込みと全く違っていたのが古川でした。ドラフト時の古川のスカウティングレポートは140キロ台中盤の快速投手というものがほとんどで、寸評の中には「小柄ながらMAX149キロを誇る」などというものまであります。170センチに満たない身長でその球速はよほど体にバネがあるのだろうと思って、実際に登板するのを見るのを楽しみにしていました。さらに春季キャンプで原監督から「実戦的な投手で楽しみ」という話まで出て、ヤクルトの石川の強化版ではないかと勝手に想像したりしていました。
2008年の春季教育リーグは高卒ルーキーの中井がやたらと目立っていたのですが、大卒ながら同じくルーキーの古川も3月5日の楽天戦でひっそりとプロ実戦初登板を果たしました。結果は3イニングを投げて打者13人に対し、被安打3、与四球3の失点1という凡庸なものでした。その試合はスピードガンのある大田スタジアムだったのですが、観戦した人によると古川の球速表示は130キロに届かず、ほとんどが120キロ中盤だったとのこと。MAX149キロって触れ込みは何だったのか?その話を聞いた私は、自分の目ではまだ見てもいないのに、一気に興味が萎んでしまった覚えがあります。投手の価値は球速ではないだろうけど、小柄でその球威でこの投手はこの先どうやって生き残るつもりなんだろうと心配になってしました。その後、実際に見てみると、さすがにそんな球速のままではなく、ジャイアンツ球場で140キロ前後の投球をしていましたが、古川もやはりケガがちで、ルーキー時は肩の不調で登板したりしなかったりしています。
古川の5年の現役生活の中で最も輝いていたのが2年目の春先のことでした。中継ぎとして一軍に呼ばれ6試合登板したのです。この時、本来は野間口が一軍に昇格するはずが交通事故に巻き込まれたため、急遽、古川が一軍に呼ばれたのだとか。当時の古川の力では現在の巨人の投手陣では割って入ることは難しいレベルだった気がするので、非常に運が良かった気がします。
しかし、ケガの影響なのか何なのか、1年目も2年目も古川の投球はなんだか今ひとつパッとしません。いつの間にか山口はおろか、2年も後から入団した星野にも抜かれる始末。そこで3年目を迎えた古川はサイドスローに転向したのでした。サイド気味ではなく本当の横手投げで、藤田監督の頃に投げていた角を彷彿させるものでした。これは決死の覚悟で決めたことのようで、この年の月刊ジャイアンツ6月号には小野との対談で「やれることはやらないと。うかうかしていられない」「もう、戻さない!オレ、サイドでやって行くって決めたから」なんて決意の談話が載っています。
ところが、このサイドスロー転向は今になって考えると大失敗でした。新しく挑戦したフォームで体の使い方や球質が代わり、ピッチングの全てがバラバラになってしまったのでした。バランスを欠いた投球は球威も落ち、制球も思うように定まらず、古川は長い低迷を向かえることとなります。3年目はサイド転向という大きな決断をしたのもかかわらず一軍登板は無し。4年目も一軍登板は無く、二軍でも登板数が減ってしまうという有様でした。巨人に限らず、どの球団も左腕は慢性的に不足しているので、戦力外まではかなり猶予期間を与えられるものですが、古川の場合、いつ解雇通知が来てもおかしくない状態が続いていたと思います。同期のドラフト1位村田透は3年であっさりと見切りを付けられていたのです。
しかし、ついに2年連続で一軍登板が無かった古川は4年目のオフに育成契約に格下げされます。いきなり戦力外にせず、ワンクッション置いたということは、古川には何らかのしがらみやツテがあったのかもしれません。しかし、野球に対する真面目な態度や人柄が、もう少し様子を見ようと団関係者の心に働きかけた気がします。そして、現役最後となった昨シーズンですが、古川は投球フォームを変え、以前のようにスリークォーター気味にややリリースポイントを高くしていました。これは昨年から巨人に復帰した阿波野コーチとともに取り組んだもので、投球の際、軸足を折らずに、軸足に体重をギリギリまで残しながら体重移動をするようにしたとのこと。これによって体の軸がブレないようになり、制球も球威も向上したようでした。私は古川のことをてっきり終わった投手だと思っていたのですが、球質が一昨年までの低迷していた頃とは別人のようで、キレも伸びも感じます。一昨年までは130キロ前後だった球速も、投球フォーム改造後は球速も平均で135~136キロ、MAX138キロまで記録するまでになっていました。しかも、タイトな場面で再三送り出されながらも、見事な投球でピンチを切り抜けています。最初は懐疑的だった私も、徐々にその力量を認めざるを得ませんでした。おそらく、昨シーズンのイースタン巨人において、最も頼りになった中継ぎ左腕は古川だったのではないかと思います。
昨年の戦力外の発表にはいくつか疑問があるのですが、その1つが古川についてです。確かに現在の巨人の投手陣が万全ならば古川の入り込む余地は残っていないでしょう。しかし、チームが危機に陥り、二の矢三の矢が尽きた時に抜擢すればいいのではないかと思うのです。巨人の左腕層は決して厚い訳ではありません。山口や両高木に何かあった時のバックアップ要員は岸や辻内ということになるのでしょうが、彼らと昨年の古川を比べたとしたら、決して劣っていないと思ってしまうのです。
今年からは打撃投手とのことですが、行く行くはコーチに就任して欲しいと思います。ファームで苦労した経験は指導者になる時にきっと糧になっている気がするのです。
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とりあえず今日はここまで。次回は齋藤や宮本など残り数名をさらりと話し、このシリーズを終えたいと思います。
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