高校時代憧れていた巨人入りに須永は何を思うのだろうか・・

  • 舎人
    2010年11月06日 01:56 visibility4249


須永がトレードで巨人に来ることになりました。


須永は高校時代、ドラフトで巨人入りを熱望し、


巨人でなければ社会人入りして次のドラフトを待つとまで言っていました。


当時の新聞を引っ張り出してみると、


3年待って自由枠で巨人入りが叶った内海と並んで、


涙を浮かべうつろな瞳の須永の姿が写っています。




この2003年の巨人のドラフトを解説すると、


当時の巨人の滅茶苦茶で強引な手口が浮かび上がります。


指名順に指名された選手を挙げると自由枠で内海、2位で西村健、3位で平岡。


内海はこの3年前、2000年のドラフトでオリックスの1位指名を受けていました。


それを巨人は3年後、確実に逆指名で入団をさせることで拒否をさせます。


そのため、2003年のドラフトは内海を指名することが前提条件としてスタートしました。


 


巨人はこの年、内海の他に3人の高校生の獲得を目指していました。


それが西村であり、平岡であり、須永だったのです。


西村はヤクルトがドラフト1位で、平岡もロッテが上位で指名を予定していました。


しかし、2人とも巨人に対して強烈な逆指名をアピールし、


他球団からの指名を諦めさせたのです。


須永に対しても日本ハムが上位で指名を検討していました。


須永も巨人以外に強行指名された場合、東京ガス入りをほのめかし、


西村たちと同じように指名を回避するように訴えます。


しかし、他の球団のように日本ハムはなかなか須永指名の方針を変えようとしません。


そこで、巨人は自由枠に予定していた内海に2位以下の指名を打診します。


1位須永、2位内海、3位西村、4位平岡といった指名を画策したのです。


オリックスを拒否してからの内海は、ケガなどが相次ぎ、


自由枠に相応しい選手になっておらず、2位以下でも十分取れると踏んでいたからです。


同じことが2年前のダイエーで行われ、1位寺原、2位杉内の両取りがありました。


何とも欲張った方法ですが、その前例に倣おうとしたのでしょう。


しかし、これには内海サイドが反発しました。


あくまで3年待ったということに対する代価を巨人に求めたのです。


そのために巨人は須永についてはそれ以上の手を打つことができず、


当日、日本ハムが強行指名するかどうかが注目されることになってしまったのです。




現在の日本ハムは強硬指名に躊躇しない


12球団でも屈指の気骨のあるドラフトをする球団ですが、


この当時は逆指名をする選手に対しては全くと言っていいほど強行指名をしない


穏当なドラフトをする球団でした。したがって、この時の須永に対しても、


当日になれば回避するのではないかという大方の予想がありました。


ところが、2位のウェーバーで巨人より先の日本ハムが須永を強行指名したのです。


今まで簡単に脅しに屈していた日本ハムにとってまさかの指名でした。


 


この指名に対し、当初は拒否を表明していた須永サイドも、


日本ハムの誠意によって徐々に軟化していきます。


そしてついに須永は日本ハムの入団に到った訳です。


食堂を経営している須永のお父さんは


「ハムは好きだけど、息子の念願が叶うまでハムは口にしません!」


などと周りに語っていましたが、最終的には笑顔で息子の日本ハム入団を喜んでいました。


 


巨人はドラフトに臨んだ堀内監督が「1人欲しいのが取れなかった」と


ぶ然とした表情でドラフトを振り返っていましたが、


内海の他に、西村と平岡の獲得はきっちりと予定どおり行っています。


須永が取れなくても十分面目躍如のドラフトでした。


相変わらず強引なやり口だと他球団からは思われていたことでしょう。


 


この須永獲得は日本ハムにとってその後のドラフトに臨む上での基本姿勢となりました。


必要と思ったらどんな反発にも臆することなく向かって行く。


まさにエポックメーキング的な出来事だったのです。


その姿勢がその後の長野の強行指名に繋がっていくのです。


 


巨人にとってこのドラフトはどうだったかと言うと、


やりたい放題好き勝手にできた最後のドラフトになりました。


この選手を囲い込むやり方は翌年の一場事件でついに手口があからさまになり、


江川事件に次ぐ巨人史上の汚点として語られることになってしまったのです。




 


あんなに憧れた巨人に移籍することが決まって須永のコメントはどうだったか・・


 


「急な話に大変驚き、まだ気持ちの整理がついていません。


ファイターズファンの皆様の温かい声援の中でプレー出来たことに心より感謝しています。


7年間お世話になった球団を離れる寂しさはありますが、


新天地でも全力で頑張っていきたいと思います。」


 


ただの一新天地!?その程度の認識なの??


まぁそんなものなんでしょう。まだ高校生に群がった球団の大人たちが悪いのです。


須永の今後に期待したいと思います。


 
















































































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