20XX年、国立に再びあの高揚と熱気が戻り、失ったものの大きさに気づく その2
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miyashu
2008年11月19日 20:18 visibility73
ベストメンバー規定が天皇杯に持ち込まれてから、明らかにゲームの質は落ちた。
リーグ戦の終盤、それぞれの大一番を控え、規定すれすれのメンバーで天皇杯を戦うチーム。
攻撃の選手を落とすことが多く、必然的にロースコアのゲーム展開を予想し、守備的に戦う試合が多くなった。
リーグ戦、天皇杯ともども、中途半端な比重の置き方、コンディションの調整となり、苦しむクラブが目につくようになった。
特に外国人監督にとってはこのベストメンバー規定は奇異に映ったらしく、ACLを戦うクラブや代表選手を多く抱えるクラブの監督は、メディアに登場するたびに、天皇杯とリーグ、ACLを並行して戦うことの困難さを口にした。
もちろん、ターンオーバー制をひきあいに出し、皮肉めいた一言を添えることも忘れなかった。
あの年から、Jリーグは疲れきっていた。
不合理なレギュレーションと、試合日程。
さらに、Jリーグの意見無視の、協会の強引な秋春シーズン制導入は、実質、8月の猛暑の盛りから始まるというとんでもない代物だった。
各クラブは、次第に天皇杯、ナビスコオレオカップを敬遠するようになった。
両カップ戦は、形式的儀礼にすぎない試合を重ね、協会のふりかざす権威とは逆に重さを失っていった。
彼は、中学生になったばかりの息子と国立のゴール裏に立っていた。
カラーボードをかざしながら、万感の思いでたたずむ。
嬉々としてカラーボードを掲げる息子。
待ちきれない息子の表情に、彼はぐっとこみあげるものを抑えた。
サッカー好きの息子は、しかし、Jリーグの試合はほとんど見ない。海外のトッププレーヤーの華麗なテクニックに心を奪われるばかりだ。
地元にJリーグのトップリーグのチームがありながら、彼はその魅力を息子に伝えきれずにいることを無念に思っていた。
その息子が、国立に行きたいと言い出したのだ。
そうだ、国立だ。
国立に連れて行けばいい。
そうすれば、息子がこれまで見てきたJリーグが、何か大切なものを失ったがらんどうだったことに気づくはずだ。
「ちばぎんカップ・ファイナル」
ここには、あの年からJリーグが失ってしまったものがある。
ちばぎんカップは1995年に始まった。
千葉の2チーム、千葉(市原)と柏の交流戦である。千葉銀行がスポンサーにつき、「ちばぎん」の名が冠されている。
異変は、あの年から少しずつ始まった。
地域に密着する地域の銀行が、地域のJリーグチームのダービーマッチをスポンサードする。
これをたった2チームの特権としておくのはもったいない。
地方のチームから声が上がった。
地方クラブが地元の銀行とタイアップして参加を申し入れてきた。
皮肉なことに、近隣の大都市のチームは、当初まったく興味を示さなかった。
山形、新潟、静岡、広島、大分、熊本。
千葉の2チームに6地方のJ1チームを加え、8チームで新生「ちばぎんカップ」がスタートした。
たかがプレシーズンマッチではあるが、7月の1ヶ月間は、夏休み前、夏休み突入直後とあって、サッカーに飢えたサポーターにとって格好の祭りとなった。
代表に選手もほとんどいないチームが多く、シーズンに入る前のトレーニングマッチとしては、最高の環境だった。
サポーターの声援もあり、Jリーグ非公式ながらタイトルのかかったカップ戦でもある。
地方の強みは、盛り上がりの早さである。
各地方新聞が、強力にキャンペーンをはった。
銀行と新聞。地域の密接なつながりの中で、メディアがこんなおいしい話を逃すわけがない。
「おらが町」のタイトル。
年を重ねるに連れ、参加チームも急増した。
このカップ戦に参加しないと、プレシーズンマッチも練習試合もろくろく組めないような盛況ぶりになったのだ。
スポンサーも増えた。
地方銀行のネットワークで、Jリーグを盛り上げ、地域の活性化に寄与しようという流れが起きた。
地方新聞社もこれに賛同し、スポンサーにも加わった。
地元にチームを持たない地方銀行や、新聞社もスポンサーに加わった。
ネットワークの強力さに世間が目を見張った出来事でもあった。
サッカー協会が止めたJリーグの息を、地域の企業が吹き返した。
ついに、ちばぎんカップはJ1全チームが参加する大会となった。
こうなってはJリーグも黙ってみておれない。
今年から、Jリーグの公式カップ戦として「ちばぎんカップ」を開催することが決定した。
プレシーズンマッチではなくなった「ちばぎんカップ」はリーグ戦の合間をぬって6ヶ月にわたり開催される。
決勝は、国立競技場。
あの国立決勝の紅葉と熱気が戻ってくる。
サポーターは、期待に胸をふくらませ、「ちばぎんカップ」予選リーグ、決勝トーナメントは未曾有の活気を呈した。
スポンサーからの心憎い演出もあった。
各銀行が出資しあって、サポーターにもプレゼントを用意した。
優勝チームの地元銀行にチーム名を冠した預金を用意したのだ。
もちろん、かなりの高利率で。
各銀行からのサポーターへのご祝儀というわけだ。
Jリーグが失っていたものが帰ってきた。
同時に、それはサッカー協会が失ったものの大きさに気づいたときでもあった。
「ちばぎんカップ」。
この名称は、ここまで大きくなった大会の根っこをつくってくれたちばぎんに対するリスペクトを表したものである。
スポンサーが増え、大会が大きくなっても、誰も「ちばぎんカップ」の名称を変えようとは言わなかった。
選手、サポーター、スポンサー、ホームタウン。
サッカーをとりまくすべてに対して敬意を払う気持ち。
それさえあれば、レギュレーションがどうだの、ベストメンバーがどうだの、取りざたす必要はない。
あの年、サッカー協会の会長は、あるクラブの監督を名指しで「あんなくだらないことをする監督は、監督としてどうかと思う」といいその社長を「情けない」と言った。
敬意のかけらさえないこの言葉は、今の今まで尾をひいている。
リスペクト。
それがすべてだ。
センターサークルに置かれたボールに足をかけるエースストライカー。
すでに、両チームのサポーターは、声をからし、チャントを叫び続ける。
潤む目のはるか向こうで、笛は鳴り、
ボールは蹴られた。
キックオフ。
拳を握りしめ、声高らかにチームの名前を叫ぶ。
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ってことで、2回に分けて妄想小説書いてみました。
ハッピーエンドだったでしょ。
いや、これをハッピーエンドと言っていいのかは自信がありませんが。
長々とおつきあいいただいたみなさん、ありがとうございました。
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