「東北人魂」小笠原満男の想い。
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キテル広
2015年03月13日 00:11 visibility386
目の前にぽつんと立つ、かまぼこ屋だった廃墟を眺めながら、鹿島アントラーズの 小笠原満男 はつぶやいた。
「この辺りも、あの建物の2階くらいまで水が来たんだね・・・。」
被災地での支援活動を続ける小笠原満男。年始には宮城県名取市を訪れた。
2015年の年始も、小笠原の姿は東日本大震災の被災地にあった。東北出身のJリーガー達が、東北地方のサッカー復興の為に震災後に発足させた団体『東北人魂』(※)の活動も、今春で5年目に入った。
※鹿島の小笠原満男、柴崎岳、遠藤康、ガンバ大阪の今野泰幸ら、東北六県出身の現役Jリーガー有志が設立した団体。東北地方のサッカー発展のため、東北サッカー協会及び東北各県のサッカー協会の活動へ寄与することを目的とし、各選手の所属クラブ、日本サッカー協会及びJリーグと連携しながら活動している。主な活動内容は、被災地の子どもたちのJリーグ公式戦への招待、東北地方でのサッカーイベントや大会の開催、チャリティーオークションの開催など。
被災地のみならず、東北各地でサッカーを通して子どもたちと触れ合う活動を続けている彼らは、活動の合間に必ず行なうことがある。
それは、震災で被害を受けた地域に直接足を運ぶことだ。この日、彼らが視察に訪れた場所は、宮城県名取市にある閖上(ゆりあげ)地区。ここは鹿島の遠藤康(仙台市出身)の夫人の実家があった場所でもある。
選手たちを乗せたバスが閖上地区にさしかかり、窓の外に色を失った土地が現れると、少しだけ空気が張りつめる。
バスから降り、「祈りの丘」と呼ばれる小高い丘に登る選手たち。4年前にもこの地を訪れていた遠藤が、指を差しながらこの地域の被害がどんなものだったかを説明する。辺り一面に広がる荒れ地を見渡しながら、選手たちは真剣に耳を傾け、そして質問する。
「この辺に、グラウンドや体育館はあるの?」
視察に訪れた場所の近くに体育館があると聞くと、「何人ぐらい入れそう?」「子どもは何人くらいいる?」「中高生でももちろん構わない」「ここだったら○○のチームも呼べそうだよね」と、どんどん選手たちの話が進んでいく。今までのイベントもこうして決定してきたことがほとんどだ。
これまで多くの被災地を訪れ活動してきた彼らが、いつも気にしていること・・・。
それは、子どもたちが元気に走り回ることができているのだろうか、ということだ。走り回っていた場所を失い、元気に遊ぶこともできず、まだ笑顔を取り戻せていないのではないか---。
子どもたちがサッカーをしたことがなくてもいい。ボールを一緒に蹴って、いっぱい走って、いっぱい笑ってほしい。もちろん、サッカーをしている子どもなら、プロ選手である自分たちと触れ合って、何かを吸収して、大きな夢を見てほしい。そして、その中から、強いメンタルを持ったJリーガーが現れてほしい。そんな思いが原動力となり、彼らの活動は現在も続いている。
2011年3月11日に起こった東日本大震災から4年が経った今、被災地に対する支援が徐々に減退してきているのではないかという声も聞かれる。そして、東北人魂の活動やそれに対するサポートも例外ではない。小笠原は言う。
「これは、僕らにとってもこれからの課題になると思います。今後、震災の記憶はもっと薄れていってしまう可能性の方が大きいですから。でもそこで、どうしたらまた皆の意識をもう一度引き戻すことができるのか。考えなくてはいけないですし、そのためにも、まずはチームで活躍して、いい結果を出して、そこから情報を発信できるように頑張っていかないといけないなと思っています。」
被災した東北地方の沿岸エリアには、瓦礫がなくなったとはいえ、いまだ茶色い大地が静かに広がり、仮設住宅があちらこちらに見受けられる。どこも似たような様相で、マイナスからゼロにも戻っていない。それが復興の現状だ。
そんな中でも、元気に走り回ってサッカーボールを蹴る子どもたちの笑顔は、一緒に触れ合っている選手のみならず、周りの大人たちや、その地域全体を元気にしてくれている。
そんな笑顔がこれからも絶えることのないように、そして、この苦境に打ち勝った子どもたちの中から、いつの日かJリーガーが輩出されることを楽しみに、今後も『東北人魂』の活動が続いていくことを願いたい。
- 事務局に通報しました。
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