☆甲子園出場校を巡る旅~桐生の消えた球場の前には~
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鶴丸 深志’
2011年03月28日 19:50 visibility1434
1927年(昭和2年)に、前述した桐生中(現・桐生高校)が第13回全国中等学校優勝野球大会に初出場したことを契機に、桐生市民の間で野球への関心が高まり、桐生中の劣悪な練習環境を改善しようという機運が生まれ、新川球場が誕生したようだ。
その後、1987年(昭和62年)に老朽化から解体され、現在は新川公園となっている。
新川球場の落成記念として、早稲田大対法政大戦が催された。
終戦直後には、プロ野球東西対抗戦が明治神宮野球場で行われる予定であったが、諸事情が重なり使用できなくなり、その代替として新川球場が使用された。
東西対抗戦とはいえ、戦後のプロ野球の試合で二番目に使用された球場であった。
また、早稲田実業時代の王貞治氏も、桐生中との練習試合でマウンドに上がっているようだ。
これらは、桐生市民の野球への関心の高さをうかがわせるものであろう。
さらに興味深いのが、第1回秋季関東地区高校野球大会(1948年10月30日~11月2日)は新川球場で開催された。
参加校は、竜ヶ崎中、熊谷中、明治中、桐生工、千葉中、日川中、宇都宮工、川崎工の8校で、栄えある優勝は日川中(現・日川高校)であった。
この新川球場跡地(現・新川公園)の目の前に、樹徳高校があります。
樹徳高校は、夏の選手権に2回出場し、通算成績は1勝2敗です。
この樹徳を2001年から2005年まで率いていたのは、佐賀商、千葉商、印旛、柏陵と県立高校4校を甲子園に出場させたことで有名な蒲原弘幸監督でしたが、野球熱の高い桐生の地では甲子園への夢は叶わなかった。
以上です。
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