☆ぶらり散策日記~富山大会のような甲子園大会~

 

 


 

埼玉県のほぼ中央に位置し、東武東上線の森林公園駅やつきのわ駅周辺など町の南部における住宅開発によって人口が急増し、2000年~2005年の人口増加率が全国の町村の中で第3位となった滑川町(なめがわまち)に、滑川高校(現・滑川総合高校)があります。

滑川高校は、1976年(昭和51年)に武蔵丘陵の森林に囲まれた自然が豊かな環境の中に創設され、2005年4月に埼玉県立吉見高校と合併して、滑川総合高校に校名が変更されました。


野球部は1981年(昭和56年)に創部され、1998年(平成10年)第80回記念大会の西埼玉大会予選において、ノーシードながら比企郡のドクターKこと小柳を擁し、小鹿野を15-1(毎回得点で5回コールド)、川越西を9-4(小柳の不調を打線がカバーし終盤に突き放す)、松山を8-1(小柳が好投しシード校を8回コールド)、西武台を3-0(堅守で逃げ切る)、聖望学園を9-1(序盤の集中打で圧倒7回コールド)、決勝は川越商(現・市立川越)を1-0(ノーヒットで得た1点を小柳が守りきる)で破り、初の甲子園の切符を手にしました。

甲子園出場はこの1度だけで、甲子園の1回戦は境を接戦の末7-6、2回戦は甲子園なのに富山大会かと錯覚するような “一部の方々にはたまらない対戦” となった富山商を5-3で破り、3回戦は春準優勝校で久保(今は阪神?)を擁した関大一に12-1で敗れ、甲子園通算成績は2勝1敗です。



滑川高校といえば、やはり「滑川の大魔神」「トルネード久保田」「マスクを脱ぎ捨てたストッパー」と称された、当時はキャッチャーであった久保田智之(阪神)です。
久保田は、ピンチになるとマスクやレガースを脱ぎ捨てマウンドに上がり、野茂英雄ばりのトルネード投法を披露し、全国の高校野球ファンを沸かせました。
久保田の球種はストレートとフォークだけでしたが、力で詰まらせる球威があり、打ってもクリーンアップを任され、全国的には無名の滑川高校を甲子園に導き、3回戦進出を成し遂げました。
久保田は高校卒業後、常磐大学(茨城)に進学し、そこで本格的に投手に転向しましたが、高校時代に投手としてあまり消耗していなかったことが、今の成功につながっているかもしれません。


※参考までに、富山の滑川高校(なめりかわこうこう)は、甲子園に春1回、夏2回出場し、通算成績は1勝3敗です。





以上です。

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