☆千葉県選出としては初となる総理大臣誕生記念~県船~


 



民主党の代表選で選出された野田佳彦代表は、8月30日の衆参両院本会議で首相に選出され、第95代、62人目、千葉県選出としては初となる首相に就任しました。
戦前戦後を通じて首相の出身地で最も多いのは山口県で8人、次いで東京都が5人、岩手県が4人ではないかと思われます。戦後は群馬県が4人で最多だったような気がします。
戦後の首相の出身大学は、佐藤、中曽根ら東大がおそらく11人で最多でしょう。これに次ぐのは早稲田大で竹下登、海部俊樹、野田佳彦ら7人ではないかと思われます。
野田佳彦首相は、1957年(昭和32年)に千葉県船橋市で生まれ、県立船橋高校、早稲田大の政経学部を卒業後、松下政経塾に第一期生として入塾。船橋駅北口での毎朝の演説を1986年(昭和61年)10月からずっと続けて来た点に今も胸を張っています。
この朝の演説を、我々政界、並びに医学用語で、「朝立ち」と呼びます。






千葉4区となる船橋市は、千葉県北西部に位置する人口約61万人を有する県内では千葉市に次ぐ人口で、政令指定都市を除く市では熊本市に次いで人口第2位、都道府県庁所在地も除いた場合では人口第1位です。


船橋といえば、わたしが社会人になってから約5年間住んだところであり、今のチームで草野球を始めた思い出の地でもあります。
そういえば、県船も近くにあったな!



千葉県立船橋高等学校は、1920年(大正9年)に創立され、県立千葉高校・県立東葛飾高校と共に千葉県公立御三家と呼ばれる進学校で、平成21年度からスーパーサイエンスハイスクールの指定を受け、理数科を中心に全校で先進的な理数教育に取り組んでおり、さらに、平成23年度からの3年間については、文部科学省より理数教育の充実のため地或の中核的拠点校として、コアSSHの指定を受け、これは、関東・東北・北海道地区では初めてとなります。2011年の主な進学実績は、東大3名、一橋大6名、早稲田大119名、慶応大37名、東京理科大108名です。
部活動では、生物部の生徒が今年台湾で実施される「国際生物学オリンピック」の日本代表4名の中に1名選ばれ、数学同好会の生徒が「日本数学オリンピック」の予選を通過し2月の本選に出場し、放送委員会は第57回NHK全国放送コンテスト創作ラジオドラマ部門で3位、クイズ研究会部は全国高等学校クイズ選手権で4位、合唱部・水泳部・陸上部は関東大会に出場しました。
卒業生に、ジャーナリストの江川紹子サンがいることは全国的にも有名です。




野球部は、1946年(昭和21年)に創部され、翌1947年(昭和22年)千葉県中等学校野球連盟(加盟校23校)が設立された年の夏の千葉県大会に船橋中として、国府台中(国府台高校)、多古農(多古高校)、京成工(市川工と合併)、東鉄教習所(閉校?)と共に初参加しました。
初参加となった夏の大会では、市川中を12-3 、関東中を22-3で破り、準決勝では千葉中に8-2で敗れたものの、見事な4強入りを果たしました。
県立船橋は甲子園出場こそありませんが、昭和20年代は夏の千葉大会において、準優勝1回、4強1回、8強3回、通算勝利数16勝と見事な成績を収めていました。
1952年(昭和27年)には春の千葉大会を制し、第4回春季関東大会への出場を果たしました。その時は、初戦で優勝した神奈川の湘南高校に1-0の惜敗でした。
その年の夏の大会は、成田中と共に優勝候補に挙げられ、3回戦では当時2年生だった長嶋茂雄遊撃手を擁する佐倉一中を10-2で破り、期待通り準優勝を果たし、埼玉との南関東大会に駒を進めました。しかしながら、初戦で熊谷中に2-1で惜敗し、甲子園の夢は断たれました。
さらに昭和30年代になると準優勝1回、4強1回、8強4回、通算19勝を挙げ、成田の29勝、千葉商の27勝、銚子商の27勝に次ぎ、成東と並ぶ勝利数を挙げ、県船の黄金時代を築き上げました。






県船は、現在も強豪ひしめき合う千葉において健闘しており、今年の夏は4回戦(ベスト32)、昨年も4回戦に進出しており、21世紀枠あたりで甲子園出場を果たして貰いたい高校の一つです。


 


 



以上です。











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