☆日本野球発祥の地に一番近い甲子園出場校
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鶴丸 深志’
2012年01月21日 06:52 visibility1225
1871年(明治4年)、横浜にて軍艦コロラド号の船員チームと横浜の居留外国人チームが対戦、船員チームが14対11で勝利した。これが日本で最初に行われた野球の試合とされている。
オフィスビルや学校などが立ち並んでいる、東京都千代田区の神田錦町三丁目に学士会館がある。
学士会館とは、旧帝国大学の同窓会組織に発展した学士会の交流の場として建設された会館である。
その学士会館の一角に、過去に記述した『日本野球発祥の地』の記念碑がある。
その昔、学士会館の場所には東京大学の前身である開成学校が置かれていた。1872年(明治5年)学制施行当初、第一大学区第一番中学と呼ばれていた同校で、アメリカ人教師ホーレス・ウィルソン氏が学課の傍ら生徒達に野球を教えた。
翌年の1973年(明治6年)に新校舎とともに立派な運動場が整備されると、本格的な野球の試合ができるまでになった。野球体育博物館の見解では、これを日本の野球の始まりとしている。
ホーレス・ウィルソン氏が教えた野球は、開成学校から同校の予科(本科に進むために修める課程)だった東京英語学校(後に大学予備門、第一高等学校となる)、その他の学校へ伝わり、やがて全国的に広まっていった。
2003年(平成15年)、ホーレス・ウィルソン氏は野球伝来の功労者として野球殿堂入りした。
1888年(明治21年)第一高等学校に野球部が創設されのを機に、東京の中等学校にも次々と野球部が創設されていった。
この『日本野球発祥の地』に一番近い甲子園出場校といえば、そこから私の足で365歩の場所にある、正則学園である。
正則学園高校は、千代田区神田錦町三丁目にあり、「齋藤和英大辞典」「齋藤英和大辞典」を編纂し英語教育史上不朽の存在とされている英語学者齋藤秀三郎氏によって、1896年(明治29年)に正則英語学校として創立された伝統を持つ男子校である。
1933年(昭和8年)、英語学校に代わって、商業実務の第一線で活躍する人士を育成するため、正則商業学校を設立。
1948年(昭和23年)の学制の改革を経て正則商業高等学校となり、社会情勢の急激な変化に伴い教育課程や内容に一層の幅と清新さを持たせるため、1971(昭和46年)には普通科を設置、1973(昭和48年)に校名を正則学園高等学校と改称。1995年(平成7年)には商業科を廃止し、普通科だけの高校として現在に至っている。
正則学園は、1986(昭和61年)第68回夏の選手権大会に1度だけ出場し、通算成績は0勝1敗である。
余談になるが、正則学園の直ぐ隣には錦城学園がある。甲子園出場こそないが、こちらの野球部創部は1907年(明治40年)と古い。
(それにしても、一瞬オフィスビルと見間違える様な校舎がふたつ並んで建っているのは全国的にみても珍しい光景ではなかろうか)
参考までに、東京所在で現在も硬式野球部が存続している高校を創部の古い順にある程度並べてみると、おそらく以下のようになろうかと思われます。
(※野球部創部の考え方は学校によって異なります)
1883年(明治16年)
青山学院高等部
1889年(明治22年)
学習院高等科
1894年(明治27年)
郁文館高校
1897年(明治30年)
獨協高校
1898年(明治31年)
京華高校
東京高校
1899年(明治32年)
日比谷高校
大成高校
1900年(明治33年)
筑波大附属高校
1901年(明治34年)
両国高校
正則高校(港区)
1902年(明治35年)
成城高校
開成高校
1903年(明治36年)
立川高校
1905年(明治38年)
早稲田実業
日体荏原高校
以上です。
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