☆山陰の予選皆勤校~米子東高校~
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鶴丸 深志’
2010年05月07日 05:54 visibility1107
第1回全国中等学校優勝野球大会(1915年/大正4年)の地区予選参加校は、全国で73校だけであった。
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http://baseballsns.jp/member/10774/diary/166842/
実はこの大会の山陰代表決定戦でとある事件がおこった。
第1回大会より2年前の大正2年(山陰地区では明治末期ごろから山陰大会が開催されていた)、試合中に開催側の鳥取の米子中(現・米子東)の応援団が、島根の松江中(現・松江北)の応援団に木刀や青竹を振り回して暴行を働き、松江中が試合を放棄して帰るという事件が起こった。両県の関係を悪化させたこのトラブルはその後も尾をひき、翌年の山陰大会は中止、2年後の第1回大会予選にも影響が出そうになった。どちらの県で試合をしても危険だということで、山陰代表決定戦が直前まで開かれず、「全国大会の会場である豊中球場でやろう」ということになった。今で言えば、地区予選を甲子園でやるような事態となった。
と言うことで、
やはり、
鳥取と言えば、
全国高等学校クイズ選手権での優勝経験のある米子東である。
米子東は、1899年(明治32年)に鳥取県第二中学として創立された県内屈指の進学校で、米子市民からは「べいとう」と呼ばれ愛されています(?)
柏の葉をX型に組み合わせた校章は、右の葉はロゴス、左の葉はパトスを象徴しており、同校の理念を表し、真理の探求と情緒豊かな人間性を陶冶するために努力をすることを意味している。
野球部は、1900年(明治33年)に創部され、同県の鳥取西と並び、山陰地区、いや、中国地区、いや、西日本、いや、第1回大会から地区予選皆勤賞ですから、全国の名門と言っても過言ではありません。
米子東と鳥取西の対戦は、「山陰の早慶戦」とも言われ、鳥取県民から熱い注目を集めています。
この両校の戦いは、仲本さまの言葉を借りれば、「滋賀に例えると、膳所高校対彦根東高校」と言うことになります。
米子東は、春8回、夏13回甲子園に出場し、通算成績は16勝21敗です。
最高成績は、1960年(昭和35年)第32回選抜大会の準優勝で、これが春夏通じて山陰地区唯一の決勝進出となっています。
おわります。
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