☆最古の都立高校 秋季大会観戦記~日比谷高校~

今夏は東東京大会で小山台高校が都立勢初となる2年連続で決勝に進出した。

都立勢の活躍に刺激され、都立高校の中で創立が一番古い高校の試合を観たくなり、秋季東京都大会の一次予選が行われている帝京高校野球部グランドに向け、愛車のレクサスCT200hを走らせた。

 

 

 

  

 

観戦したかったのは日比谷高校、勿論、初めての観戦だ。

ユニフォームは白地で、胸に縦書きで「日比谷」と書かれていた。一部マニアのためにストッキングについて触れておくと、エンジ色の細い一本線が入っていた。これは旧制一中を意味しているのだろうか?
試合の方は、同じ都立の石神井高校を相手に終始優位に展開、8 - 2 で勝利した。 

 

政治の中枢機能が集中している千代田区永田町にある都立日比谷高校は、1878年(明治11年)に東京府第一中学として創設され、都立高校の中では最古の歴史を有する。参考までに、旧制の二中が立川高校、三中が両国高校、 四中が戸山高校、五中が小石川高校、六中が新宿高校、七中が墨田川高校、八中が小山台高校、九中が北園高校、十中が西高校、十一中 が江北高校、十二中が芦花高校、十三中が豊多摩高校、そして、十四中が今回の対戦相手となった石神井高校である。(旧制中学のナンバーは二十三中まであった)

偏差値73を誇る名門も、東京都の学校群制度の影響で長らく低迷していたが、近年、奇跡のV字回復を果たし、全国の公立高校の中で東大合格者数トップに返り咲いた。(2016年には東大合格者数が53名となり、日比谷高校として44年ぶりに東大合格者数が50人を超えた。公立高校が50人以上の東大合格者数を輩出したのは、1995年の県立浦和、県立千葉以来21年ぶりであった。2018年には東大合格者を48名輩出し、東大合格者数が全国で9番目となる。日比谷高校の東大合格者数ベスト10入りは、1970年以来48年ぶりであった)

また、神奈川県立横須賀高校と並び、五輪金メダリスト、内閣総理大臣、ノーベル賞受賞者を輩出した高校としても有名である。

 

野球部は1899年(明治32年)頃から活動していたと思われる。

夏の全国大会予選に初めて参加したのは、1936年(昭和11年)の第22回大会東京予選であった。結果は初戦で高輪商(廃校)に 18 - 8 で勝利し、予選初参加で初勝利を挙げた。
1946年(昭和21年)の第28回大会東京予選では決勝に進出した。1回戦では荏原中(日体荏原)を12 - 8、2回戦では名教中(現在の東海大浦安)を 3 - 0、3回戦では東京中(東京)を 18 - 0、準々決勝では都五中(小石川)を 6 - 0、準決勝では慶應普通部(慶應)を 14 - 4 で退けた。しかし、決勝では東京高師付中(筑波大附属)に 2 - 3 で惜しくも敗れた。
夏の予選通算成績は84勝80敗1分である。

 

 

永田町にあるのに、日比谷とは、これ如何に?

俺が昔、日比谷だった頃、弟は碑文谷で、父さんは千駄ヶ谷、母さんは市ヶ谷だった。

わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ〜。

 

 

 

 

 

以上です。

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