☆3元号での甲子園出場校&関東の公立校初の甲子園出場校 取手市近隣高校野球大会観戦記~竜ヶ崎一高~
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鶴丸 深志’
2019年11月04日 09:59 visibility2824
関東の公立校で初めて夏の全国大会に出場し、以降、3元号で甲子園に出場している伝統校の試合を観戦したいと思い、取手市近隣高校親善野球大会が開催されている藤代スポーツセンター野球場に向け、愛車のレクサスCT200hを走らせた。観戦したかったのは竜ヶ崎一高、何年ぶりの観戦だろうか?
ユニフォームは勿論、伝統の「R」のマーク一文字である。
試合の方は、取手市内で初めて甲子園に出場した取手一を相手に 4 - 3 で接戦をものにした。
ところで、取手一のストッキングには、赤3本、黄1本のラインがありましたが、これは夏3回、春1回の甲子園出場を意味しているのかしら?
竜ヶ崎一は1900年(明治33年)に茨城県立土浦中学校龍ヶ崎分校として創立され、SSHに指定された偏差値67を誇る県内有数の進学校である。また、2020年4月には併設型中学校が設置される。
野球部は1902年(明治35年)に創部され、茨城県内では水戸一、土浦一、太田一、水海道一、水戸農に次いで、下妻一と並ぶ伝統を有する。
夏の全国大会予選に初めて参加したのは、1916年(大正5年)の第2回大会予選(関東大会)で、この予選には東京から慶応普通部(慶応)、早稲田実、早稲田中(早稲田)、荏原中(日体大荏原)、日本中(日本学園)、麻布中(麻布)、立教中(立教新座)、成城中(成城) 、青山学院中(青山学院普通部)、明治学院中(明治学院)、大成中(大成)、錦城商(錦城学園)、高輪中(高輪)の13校、神奈川から神奈川一中(希望ヶ丘)、神奈川師範の2校が参加した。
結果は、初戦で錦城商に 15 - 1 (7回コールド)と大勝し予選初勝利を挙げた。
続く準々決勝では、早稲田中に延長10回の末、7 - 8 と惜しくもサヨナラ負けを喫した。
夏の予選通算成績は228勝90敗、優勝9回、準優勝7回である。
竜ヶ崎一が初めて夏の全国大会に出場したのは、1918年(大正7年)の第4回大会で、関東の公立校としても初めての出場となった。初出場から5大会連続で全国大会に出場、通算では夏9回、春1回甲子園に出場している。近年も、度々県大会で上位進出を果たし、伝統を力に変え甲子園出場を虎視眈々と狙っている。
この輝かし野球部の伝統は今も同校に息づいている。正門を入ると、大きな野球ボールがあしらわれた記念碑が立つ。野球ボールには伝統の「R」のマーク、六角形の碑には甲子園、関東大会の戦績が刻まれている。グラウンドの三塁側ベンチ脇には、初代野球部部長兼監督の西村初太郎氏の功績をたたえ、学生野球の父と呼ばれる飛田穂州氏の「偉なるかな西村精神 連続優勝実に五回」の書が刻まれた大きな石碑が部員たちを見守る。昇降口付近には歴代の「R」のユニホームが並んでいるという。歴史の重みを感じさせる。
さらに素晴らしのが、同校OBは、現在も指導者として茨城の高校野球の発展に寄与している。現在、茨城県内13校?の監督が同校OBで、今春のセンバツ大会に初出場した石岡一の川井監督もそのひとりである。部長やコーチも含めると、数え切れないほどである。OBが指導者として携わっている高校を招いて行われる「Rカップ(竜ケ崎一高杯)」も毎年11月に開催されるようになった。
最後に、竜ヶ崎一の甲子園の戦いで最も印象に残っているのは、1990年(平成2年)第72回夏の全国大会に出場した時の二回戦・松山商との試合である。
松山商の太田捕手がキャッチャーフライを追いかけ、バックネットにぶつかり負傷した。その時、竜ヶ崎一の応援席から「ファイト!太田!」の大声援が起こった。
試合後、松山商の太田捕手は、「自分は今まで相手に勝つことだけを考えて野球をやっていました。でも、あの声援を聞いて、それは間違いであったと気づかされました。甲子園で竜ヶ崎一高のような素晴らしいチームと試合ができて良かったです。」とコメントした。
文武両道の伝統ある竜ヶ崎一高の甲子園復活に期待したい。
以上です。
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