☆栃木県高校 (中等) 野球の歩み ~大田原高校~

大正7年というから、1918年。その年の8月1日。真岡中が、第4回全国中等学校野球大会予選の関東大会に、初めて栃木県から参加した。当時はまだ県大会は行われていなかった。関東大会の場所は、茨城県(水戸商)であった。真岡中は下妻中と1回戦を戦い、7対5で惜しくも敗れた。

 

初参加から2年後の大正9年8月2日。宇都宮中が関東大会(茨城・竜ヶ崎中)2回戦で、6対2で千葉中を破った(1回戦は不戦勝)。これが記念すべき、栃木県の公式試合初勝利である。

 

さらにそれから2年後の大正11年8月2日。大田原中が、関東大会初出場で決勝戦に駒を進め、常勝・竜ヶ崎中と死闘をくりひろげていた。

2回に大田原中が3点を先制すると、その裏竜ヶ崎中は4点を奪い 4 - 3 と逆転。6回に大田原中が1点取り 4 - 4 の同点に追いつくと、その裏竜ヶ崎中は決定的と思える4点を奪って 8 - 4 と突き放す。あきらめない大田原中ナインは、8回に4点を奪って、とうとう 8 - 8 の同点としたのであった。
前日の準決勝でも銚子商に延長10回、4番・中津川のライト前ヒットで 8 - 7 とサヨナラ勝ちした粘りがある。大田原中の全国大会初出場の期待が高まった。しかし、二日連続で、19インニグス目の投球となる大田原中・渡辺投手も疲労の色濃く、9回裏、竜ヶ崎中に1点を奪われて、くやしいサヨナラ負けとなった。
しかし「県北の雄」大田原は、この後も、不死鳥のように甲子園に挑み続ける。

 

 

 

 

栃木県立大田原高校は、栃木県北東部に位置し、鮎の漁獲量日本一の清流・那珂川が流れる大田原市に所在する男子校で、1902年(明治35年)に栃木県立大田原中学校として創設された歴史を有する。

野球部は、1903年(明治36年)に創部され、栃木県内では宇都宮、足利工、真岡、作新学院に次ぐ歴史を有する。
夏の全国大会予選には、栃木県勢としては真岡、宇都宮、足利工、宇都宮白楊に次いで、1922年(大正11年)の第8回大会予選(関東大会)に初参加した。結果は、太田中(太田一)に 17 - 5 で勝利し予選初勝利を挙げた。その後も、準々決勝では真岡中(真岡)に 9 - 5、準決勝では銚子商に 8 - 7 で勝利し、予選初参加で決勝進出を果たした。
甲子園をかけた決勝戦は、関東大会4連覇中の竜ヶ崎中(竜ヶ崎一)との対戦となり、8 - 9 で惜敗、あと一歩のところで甲子園出場の夢が絶たれた。
夏の予選通算成績は116勝93敗、準優勝2回、甲子園出場はない。

 

伝統ある「県北の雄」大田原高校の甲子園出場に期待したい。

 

 

 

 

 

以上です。

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