☆選抜への道 ~埼玉県新人大会南部地区 決勝・3位決定戦 観戦記~

埼玉県のラグビーの始まりは、1922年(大正11年)に旧制浦和高校(埼玉大学の前身)で結成されたラグビーチームとされている。
しかし、旧制浦和高校に続くラグビーチームが創設されることはなく、県内に本格的なラグビーが芽生え始めたのは1945年(昭和20年)以降のことであった。終戦まもなく、県教育局から旧制浦和中学(県立浦和高校)の体育担当だった黒田清次氏に「明治大学八幡山グラウンドで開催されるラグビー指導者講習会に参加するように」と指示が出た。明治大学ラグビー部監督の北島忠治氏の指導の下、実技指導を受講してきた黒田教員は学校に戻り、早速体育の授業にラグビーを取り入れた。
そして、1946年(昭和21年)10月に旧制浦和高校ラグビー部に所属していたOBたちの勧めもあり、旧制浦和中学にラグビー部が創設された。ここから埼玉県高校ラグビーの歴史が始まった。
旧制浦和中学に続き1947年(昭和22年)には、浦和商業、旧制熊谷中学(熊谷高校)、旧制本庄中学(本庄高校)にラグビー部が創設された。
県内初の中学チーム同士の試合は1948年(昭和23年)で、浦和商業のグランドで旧制浦和中学と浦和商業が対戦し、旧制浦和中学が 6 - 5 で勝利した。
1948年(昭和23年)には、熊谷商工(熊谷商と熊谷工の分離前)にラグビー部が誕生し、その後、埼玉県北部のチームを中心に花園優勝1回、準優勝2回を誇る「ラグビー王国・埼玉」が築かれて行った。

 

 

 

 

過去10年間で花園に出場した埼玉代表(100回大会は2校出場)をみてみると、深谷が4回、昌平が4回、川越東が2回、浦和が1回となっており、4年以上の連続出場がない。他で、4年以上の連続出場がなく、かつ、4校以上が代表になっている県は、福島、群馬、岡山、山口、熊本である。予選参加校数を加味すると、近年の埼玉は全国屈指の激戦区になっている。

一方、10年以上の連続出場が継続されているのは、佐賀工業(佐賀)の42年連続、石見智翠館(島根)の33年連続、流経大柏(千葉)の29年連続、仙台育英(宮城)の28年連続、國學院栃木(栃木)と東福岡(福岡)の24年連続、日本航空石川(石川)の19年連続、尾道(広島)の17年連続、高鍋(宮崎)の13年連続、茗溪学園(茨城)と朝明(三重)の12年連続、中部大春日丘(愛知)の11年連続、京都成章(京都)の10年連続である。

 

この激戦区埼玉では、今春の選抜大会出場をかけた戦いが始まっている。激戦区埼玉のチームをできるだけ多く観戦したいと思い、埼玉県新人大会南部地区決勝・3位決定戦が行われる川口北高校グランドに向け、愛車のレクサスCT200hを走らせた。

観戦したのは、3位決定戦の川口対大宮、決勝戦の浦和対伊奈学園の二試合である。

 

 

 

3位決定戦は、青のジャージー川口が 52 - 12 で勝利し、県大会進出を決めた。

 

 


決勝戦を戦う2校はすでに県大会進出が決定しており、試合の方は南部地区トップの実力を誇る紺のジャージー浦和が 45 - 8 で勝利した。

 

 

埼玉南部地区を勝ち上がった、浦和、伊奈学園、川口の県大会での活躍を期待したい。

 

 

 

 

 

以上です。

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