日本野球の知られざる古豪〜明治学院
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仲本
2015年12月24日 06:42 visibility970
野球殿堂博物館は朝10時開館なので、ホテルをチェックアウトするとちょっと時間が余ってしまう。少し寄り道することにした。
東京・港区白金台。関西の人間にはあまりピンとこないが、このエリアはそれはそれはハイソな方々が暮らしているところなのだそうな。
(銀杏散り敷く校門前。校名表示がしゃれていますね)
ここに明治学院大学・高校が立っている。1863年、横浜にヘボン博士が開いた洋学塾を源流とし、いくつかのミッションスクールを統合して明治学院に改称。1887年にこの地に移ってきた。敷地内には長い校史を伝える建物が三棟残っている。
中でも「インブリー館」は現存する明治期の西洋建築として意義があり、重要文化財に指定されている。
と、ここでようやく野球ネタに話を持っていくことができる。この館の主であったアメリカ人宣教師インブリーは、同僚とともに明治学院にベースボールを学生たちに伝えた。おかげで明治学院は、この新スポーツでいち早く強豪チームの一角を占めるようになった。
そして1890年、明治学院と旧制一高の間で行われた試合中、日本野球史にその名を残す「インブリー事件」が起こった。
詳細はどのみち書籍かネットの引き写しになってしまうのでばっさり省略する(!)。その後の日本野球の発展にとっては岐路となる事件であった、とだけ言っておこう。
学校巡りではめったにこういうことはしないのだが、今回は守衛さんに断って、特に構内に入れてもらった。
「ごきげんよう。写真撮ってもよいですか?」
「うーん、基本はNGなんだけど、スマホくらいならいいでしょう。人は写らないようにしてくださいね」
建築も確かに魅力的ではあるのだが、まさか野球ネタのダシに使われるとは夢にも思うまい。もっとも、インブリー師がこの館に住んだのは事件よりずっと後のことだそうだ。
大学野球部は首都大学野球連盟に所属しており、今年の秋は2部リーグ2位。入替戦に臨んだが、1部昇格はならなかった。なお、首都大学リーグは来期から1部のチーム数が8から6に減となるため、秋の入替戦は1部から2チームが陥落という結果になった。より狭き門になるわけだ。
高校は夏の大会予選に第2回から参加。戦前に1度東京の決勝まで進んだが、早稲田実に敗れて甲子園出場はならず。1960年代に明治学院東村山高校の開校に伴って硬式野球部をそちらに移し、白金台の明治学院高校は軟式野球部として活動している。
(都心の一等地ではグラウンド確保も難しかろう)
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