ライバルには負けられぬ〜野球拳誕生90年

  • 仲本
    2014年04月25日 23:13 visibility392

1924年秋のこと。
この日、松山・伊予鉄電野球部は高松・屋島グラウンドで行われた近県実業団の親睦野球大会に遠征し、高松商のOB連合チームと対戦したが、0−8と大敗を喫した。夜は旅館で懇親会が行われ、お互いに座興を披露することになった。
「高松の連中は芸も達者じゃのう…」
高松と松山は当時から野球ではライバル同士だが、この調子では昼も夜も高松にいいようにやられてしまうではないか。

「ちょっと来い。作戦タイムじゃ」
伊予鉄野球部マネージャーの前田五剣が仲間を集めた。支度があるからと隣の部屋でなにやらゴニョゴニョやっている。

早ようせい松山臆したか、意気あがる高松勢の前にバットならぬ三味線をぶら下げた前田が現れた。後ろにはユニホーム姿の伊予鉄チームが並ぶ。

なんじゃまだ野球する気か、勝負はもうついとるじゃろうが。高松勢から野次がとぶ。なに食わぬ顔の前田が口上にいわく、

今から皆が見たこともない門外不出の踊りをお目にかける。高松の面々しっかとご覧あれ。

三味線のはやしに乗って男たちが踊り出した。

♪野球するなら
こういう具合にやらさんせ
投げたらこう打って
打ったならこう受けて
ランナーになったらエッサッサ
アウトにセーフによよいのよい

これがことのほか受けた。まことに誰も見たこともない、珍妙な踊りに見えたのだろう。見たこともないのは当たり前で、前田がこのとき即興で作ったのだった。松山は面目を保って(?)高松の夜は更けた。

その後も伊予鉄野球部は松山や遠征先で伝統のかくし芸として野球拳を踊りまくった。おかげで後年になってレコード化された時は瀬戸内の各地で本家争いが起きたそうな。

この前田五剣(のち伍健)、伊予鉄では幹部社員だったというからおそらく総務か経理の部長さんといったところか。アイデアマンで一人宣伝部長みたいなこともやっていたらしい。川柳作者としても有名人だった。

亡くなったあとに編まれた川柳句集のタイトルはズバリ「野球拳」。巻頭に野球拳と題した句が10作掲げられている。その他、野球がらみではこんな句を詠んでいる。

満塁だ無死だ凡打だため息だ
野球アナ母校と見えて口が過ぎ

昭和28年、松山商業が夏の大会を制した時はこんな句を残した。

ラジオ前ひやひやさせた補回戦

補回戦とは今は聞かなくなったが延長戦のこと。決勝戦は土佐高校との四国対決、延長13回に及ぶ熱闘だった。

亡くなったのは昭和35年。同じく川柳作家として名を馳せた麻生道郎は追悼としてこう詠んだ。

ランナーになったか君の姿なし

地元の古豪・松山商業は、伍健が亡くなったあとも二度、夏の甲子園で優勝した。昭和44年は三沢高校との延長18回再試合、平成8年は奇跡のバックホームを生んだ延長11回の戦いだった。きっと伍健はあっちの世界からひやひやしながら眺めていただろう。

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