北海道放浪記~大投手ゆかりの地(本篇)
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仲本
2014年07月27日 18:16 visibility509
時間が行きつ戻りつしますが、再び旭川です。
旭川スタルヒン球場は旭川駅からバスに乗って約10分。最寄りのバス停は「北高前」です。一つ手前の「護国神社前」を通るバス路線もあり、ここまで選択肢に入れれば結構バス便はあるようです。旭川駅前のバス乗り場はたくさんあって、それはちょっとややこしいのですが。駅から球場までは約4kmありますから、歩くのはやめておいたほうが良いと思います。
正面玄関はこんな感じ。この日は北北海道大会の優勝旗・優勝盾・準優勝盾が展示してありました。実はこの奥のホールに、スタルヒン投手の事績を示す写真が掲示されているという話ですが、この日は連盟の控室になっており、入れませんでした。
「大阪府高野連のもんやが?(”▼皿▼メ)y-~」とかいえばよかったかな(詐称です)。
球場前に立っているスタルヒン像と、「スタルヒン球場」の表示。球場表示は隣を走る道路から見えるように、一塁側スタンド壁面にあります。照明塔が見えますが、これは2013年にできたものです。球場自体は1984年に完成しました。
スタルヒン像アップ。「GIANTS」のユニフォームですね。シーズン42勝という不滅の記録を作った全盛期の姿を模したものです。像の台座には彼の球歴と制作の趣意が書かれた2枚のプレートがあります。球歴のプレートには、スタルヒン投手の生涯が実に簡潔にまとめられています。ロシアからの一家での亡命、野球に魅せられた少年時代、巨人軍への引き抜きと活躍、軍部の圧力による改名、球界復帰と球団移籍、プロ野球通算300勝達成、そして、若くして交通事故で亡くなったこと。
もう一枚のプレートにはこうあります。
「旭川が生み、旭川が育てた大投手スタルヒンの面影を今こそ遺さねばと、旭中OBの機運が熟し、地元旭川をはじめ、東京、札幌と幅広く協力を求め、多くの人々の善意に満ちた激励と好意により、巨人軍時代の雄姿が再現した。/このスタルヒン像が彼の輝かしい球歴を偲び、栄光を讃える顕彰像となり、次代を担う若い球児に夢と希望を与えるアイドルとなれば幸である」。
スタルヒンも在籍した旧制・旭川中学はもちろんこの地方での一番の伝統校、ということは地元の有力者になっている卒業生も多いのでしょう。若い球児よりむしろわたしのようなおっちゃんが食いついているのは誤算かもしれませんが。
この像はつくられたときは球場ではなく、別の体育施設の傍らに立っていたそうです。ほどなく、長らく使用していた市営球場の改築工事が完成したときに球場前に移され、球場の名も「旭川スタルヒン球場」と命名されました。学校のグラウンドは別として、「日本で初めて人名を冠した球場」なのです。
運命に翻弄された流転の大投手は、野球と出会ったここ旭川を故郷だと語っていたそうです。死してのち、再びしかるべきところに立ち、今も球児たちの戦いを見つめているのでした。
(旭川の夏空は青かった)
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