今さらながら、読んでみた~幻の甲子園
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仲本
2011年01月15日 23:32 visibility202
(朝日新聞社の「全国高等学校野球選手権大会史」より。「中絶」の大活字が無念さを物語るか)
去年の暮れに本棚の整理をした。おもに本を読むのが通勤の電車内であることもあり、本屋さんでは買った本にはカバーをかけてもらい、そのままにしていたのだが、この際なので思い切ってカバーを全部はずしてみた。すると買ったまま読んでない本が50冊はあることが分かった。そもそもなんでこんな本買ったのというのもちらほら出てきた。やれやれ、これで向こう3年は読み物に困らないなあ…、と思ったことだった(どうせまた新しく買ってしまうのだが)。
というわけで、かれこれ半年は寝かせていたこの本を正月休み中に読んでみた。この日記をのぞきに来るような方々には説明するまでもないと思うが「幻の甲子園」とは昭和17年の夏、甲子園球場で行われた中等学校野球大会のことだ。当時日本の統治下にあった台湾を含めた16校が参加した。今なお続く夏の甲子園大会、公式記録によると昭和16年の大会は中止、以後20年まで太平洋戦争のため中断し、21年から再開されたことになっている。なぜなら昭和17年の夏の大会は文部省および前年冬に急ごしらえされた「大日本学徒体育振興会」が主催する第1回の大会という位置づけだからだ。この本は徳島商業が優勝するまでの15試合について、当時出場した選手や部員の証言とスコアを記した貴重な記録だ。選手の中にはその後戦地に赴いて還らなかった人もいる。御存命の方に取材するにもおそらくタイムリミットぎりぎりのところだろう。このへんはプロの物書きでないと難しいところで、ありがたいことだ。
さてせっかくこうして少しは人々の興味関心を引くようになった「幻の甲子園」、主催者が誰であれ、球児たちには関係のないことだ。それも戦時中の話、かわいそうではないか、これを機会に大会史に入れてあげては…、という声も上がるかもしれない。この前高校ラグビー史を調べたところ、同じ「学徒振興会」主催の大会もこちらは大会記録にカウントされているという話もしたように思う。しかし、当時の経緯によると、もともと主催だった朝日新聞社は文部省に主催権は渡すが(これとて事実上、一方的に取り上げられたというところだろう)、せめて中等学校野球の伝統を鑑み、優勝旗および大会回数は引きつぐよう要望もしていたそうだ。文部省の回答は「否」だった。大会中断は当時の世相を色濃く映した事件でもあり、まして戦後左方向に舵を切った?朝日のこと、今さら正史に反映させることはちょっと考えづらい(それとも考えも変わってきているだろうか?)。
個人的には、「カウントしない」のも一つの見識だと思っている。となれば、繰り返しになるが、外伝としてこの本は貴重な価値があると思う。
(参考:『昭和十七年の夏 幻の甲子園 戦時下の球児たち』早坂隆/文藝春秋2010)
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