ファンタジスタ幻想曲� −マヌエル・ルイ・コスタ編−
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学
2008年01月01日 22:43 visibility3662
2007年12月31日。
一人の偉大なクラッキ(名手)が、自分のキャリアをスタートさせたポルトガルのベンフィカで、「ひっそりと」 ―他の偉大なクラッキ達の引退に比べて少なくとも私にはそう感じられる― 今シーズン限りでの引退を表明した。
その人の名はマヌエル・ルイ・コスタ。
「キャリアの最後をベンフィカで終えることを望んでいた。それができることになりうれしく思っている。これまでのキャリアで成し遂げたことに誇りを持っているし、プロフェッショナルであることを証明できた。本当に満足だよ」
同時代の10番タイプのプレーヤーであるジネディーヌ・ジダンと比べるとルイ・コスタは身体の線が細い。
でも、彼の場合は力に力で対抗するのではなく、「蝶のように舞い蜂のように刺す」みたいにファンタジックなテクニックでひらりひらりと屈強なDFをかわし決定的なスルーパスを通してしまう。
彼はそんな稀有な「世界最高のパサー」(ミランで一緒にプレーしたシェフチェンコの言葉)の一人だった。
曲:Sigur Ros 「Hoppipolla」
そんな彼も、ポルトガル代表として、フィーゴやパオロソウザとともにワールドユースに優勝し「黄金世代」と呼ばれたけれど、何度も優勝候補に挙げられながらも結局ワールドカップでも欧州選手権でも優勝することは叶わなかった。
また、彼の全盛期であるフィオレンティーナ時代、あのバティストゥータと強力なホットラインを敷いていた。「バティゴル」のほとんどはルイ・コスタのスルーパスから産出された。しかし、獲得できたのはコッパイタリアだけでタイトルにはあまり恵まれなかった。
そんなとき彼が残した言葉。
「ポルトガル代表である限り、フィオレンティーナにいる限り、ルイ・コスタが王冠を手にすることは無いかもしれないが、ファンタジスタの背中には天使の羽が生えている。それだけで十分だ」
昨年のクラブ世界選手権でカカの華々しい活躍を目の当たりにする一方で、私はかつてミランの10番を背負い同じポジションでプレーしていたルイ・コスタのことを思い出していた。そういえば彼はどうしているんだっけ、と。
カカの成長に追いやられる形でミランを追われ、故郷のベンフィカに復帰していた。そのことを引退宣言のニュースを読んで初めて知った。かつてジダンと並び称されるほどの選手がひっそりと引退宣言をしていたのが、少し寂しかったりする。
そんな訳で、大好きだったルイ・コスタへ。
その天使の羽は愛弟子のカカに譲ることにして、自分の羽はしばらくはどうかゆっくり休めて下さい。
惜しまれつつも引退を決意。指導者として復帰する日を心待ちにしています。
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