直感と論理の相互補完性

TwitterでFFの方のツイートで、

「直感と論理は相互補完的なものなのに、それを区別して別のものとしてとらえるので算数を否定する」

みたいなことを述べられていて、

自分は「算数」が本当に嫌いで、「なぜそのような発想に至るのか?」がわからず、その根拠の見つけ方を教えてもらえなかったのが大きいのかもしれないですね。

逆に、中学に入って以降、定義さえ則っていれば何をやっても許されるという数学にありがたさを感じてしまったので、どうしても算数を否定してしまいたくなるのだけれど...という話はさておき、このツイートで引っかかったのは、

「直感と論理は相互補完的なもの」

というところ。

まさに野球の配球ってのはそういったものが大きいのではないだろうか?感じました。

 

自分がマスクをかぶる際に、

打者を観察して、

「打者のタイミングが合っていそうな球種・得意不得意のコース」を仮定する。

その仮定の下で「打者のタイミングが合いそうな球種をストライクゾーンにもっていかせない」という条件を縛りながら論理展開をしていく。

球種を変えたり、コースを変えたりして打者のタイミングをどんどん外しにかかる作業をしていく。

そこで、打席結果がアウトだろうがヒットだろうが関係なく、「弱い打球」であればこっちの勝ち、「強い打球」であればこっちの負けと定義していく。

 

ここで、仮定というのは完全に直感の支配下だし、「打球の強弱の判断」に関しても直感の支配下に。

しかし、そこに至るまでの投球内容に関しては完全に論理の支配下にあります。

 

一人の打者と一打席対峙するだけでも直感と論理は相互補完的であるといえるかもしれないですね。

 

で、野球は3割ヒットで7割はアウト、という話があるように、「強い打球」を打たれてもアウトになることを考えれば、「弱い打球」であってもヒットはあるわけで、すべてのヒットが悪いとすれば、バッテリーの心理負担は大きいし、特に投手なんてのはどんどん追い詰められ、制球が悪くなる。ボール球でなければならないところをストライク欲しさに甘く入ってしまう可能性も出てくるし、ストライクで十分勝負できるのに打たれたくないがあまりにボール球に投げてしまって余計なフォアボールを出してしまう可能性だって出てきます。

そうすると、単にヒットになるのはダメ、アウトになるのはOKというのでは、バッテリーが成長しないような気がしますし、次の対戦への適切なデータ抽出ができない気がします。

 

アウトになる確率が高いのはどう考えても「弱い打球」であり、ヒットになる確率が高いのはどう考えても「強い打球」だと思います。これってのは、

中川家の漫才でお兄ちゃんが弟礼二さんをおじいさんに見立て、デイサービスの職員の真似して、

「はよ行ったら、はよ帰れるから!」

という当たり前のことを言っているのと同じことだと思います(笑)

そうなると、「弱い打球をどうやって打たせるのか」「どういう状況で弱い打球になってしまったのか」というところを考えていかないといけない気がします。

 

変な話、ジャストミートした強い打球がすべて野手の真正面の凡打になってしまう可能性だってあるわけで、

そのジャストミートする傾向がある球種とコースは打率が低いからということでそれを根拠に攻めようとすれば、いつかは頭を越される可能性があります。逆に、打ちとられてしまった弱い打球が面白いように野手の間にポテンヒットになってしまうとなれば、そこの球種とコースは本来打ち取れる確率が高いはずなのに回避してしまうわけです。

 

あと、考えなければならないことは、「打ち取られた打球」と「打ち損じた打球」は別の認識として考えないといけないかなと思います。これもまた、タイミングの合う合わないの話になりますから、やはり「直感」という部分の支配下にあるように思います。タイミングが合っていたにもかかわらずボール球に手を出してしまったという「打ち取られた打球」と、ストライクゾーンのボールなのにタイミングが合ってもジャストミートできないという技術的な問題である「打ち損じた打球」ですね。タイミングがドンピシャでも、技術的な問題で打ち損じてしまうというのがあれば、タイミングがドンピシャな分、打ち損じなければ頭を越される可能性が高くなるわけで、積極的にストライクゾーンでその球種・そのコースを攻めるというのはちょっとリスクが高いと思います。打者も人間ですから修正する能力によって成長をするはずですから。

ただ、ストライクゾーンしか投げられない状況下であれば、積極的に使っても構わないかとは思いますが。

 

もし、その「弱い打球ならバッテリーの勝ち」「強い打球ならバッターの勝ち」と定義をすれば、

バッテリーは「弱い打球」を打たせるように仕向けなければならないですし、バッターなら「強い打球」を打つために投手の失投を待ったり、バッテリーの配球の読みをしたりするわけです。

 

また、よく、「インプレーにしなければいい」ということも言及される方もいると思いますが、以下のようにも考えられると思います。

 

「タイミングが合う球種でストライクゾーンに投げてしまうと技術的なものが担保されれば100%インプレー」

ドンピシャのタイミングでど真ん中を空振りするのは技術的なもの以外に考えられません。

 

しかし、

 

「タイミングが合わない球種でストライクゾーン、タイミングが合う球種であってもボール球に投げれば、インプレーになる確率は100%にはならない」

どんなにドンピシャのタイミングであっても、ストライクゾーンに来なければジャストミートはできません(たまに一般的なストライクゾーンとは違うストライクゾーンを持つ打者が存在するのでそれはそれでデータとして抽出すればいいでしょう)。人間というのはタイミングが合うものが来るとどうしても反応してしまうので、そこをボール球が来て堪えるかどうか、というのが技術になるでしょうね。

 

100%アウトになる魔法の配球というのはほぼありません(100%アウトになるってノーヒットノーランや完全試合なわけで、どれだけ例が少ないかでわかるでしょう)が、それを可能にできるのは「弱い打球を打たせに行く」を心がけているバッテリーと言えると思います。

別に強い打球を打たれてもアウトになる可能性はありますから、そういう配球をする捕手が正捕手であってもいいでしょうけれど、

やはり、強い打球を打たれるのはそれだけヒットの可能性がより高くなりますから、失点する可能性も高くなりますし、負ける可能性も高くなると思います。その中で、アウトは全部OK、ヒットは全部NGとなれば、ピッチャーの心がやられると思います。そりゃ制球力が失われ、投手陣がいつも悪いというのは致し方ないことでしょうね。

 

個人的には、「優勝を経験したことのある捕手」というよりは「ノーヒットノーラン(完全試合含む)を導いた経験のある捕手」の方が価値が高いと思いますし、捕手の重要性が高まった日本の近代野球において、「ノーヒットノーランを経験した捕手」というのは大抵は「ノーヒットノーランを経験したカテゴリで優勝を経験したことのある捕手」であると思います(例えばNPBで優勝、侍ジャパンでノーヒットノーランというのは同じカテゴリと見做しても構わないと思います)。

逆に言えば、「優勝を経験したことはないがノーヒットノーランを経験した捕手」というのは、「のちに優勝する可能性が高い」ともいえると思いますが、「正捕手として優勝を1度経験しているにもかかわらず正捕手としてその後に最下位を複数回経験してしまっている捕手」というのは、「優勝と最下位どちらの方が可能性が高い?」という話になってしまうと思います。

 

チームの立て直しが図られるチームに求められるのは、「基本的に三振狙いでインプレーになるにしても弱い打球にとどめられる(強い打球になるのは大抵投手の制球ミスの場合に限られる)捕手」が正捕手になるのであって、「三振を狙っても強い打球を打たれてしまう可能性が高い捕手」は正捕手として不適格な気がします。

 

なかなか浮上できないチームを見ていると、やはり投手に苦しんでいる以上に捕手に苦しんでいるように思えます。そして、正捕手が適切な捕手に定まり、センターラインが適切な野手に定まっていくと、チームが劇的に変わっていくと思います。ただ、その適切な捕手に切り替わる過渡期は投手の成績がかなり悪くなると思います。

理由として、「投手がその配球の意図がわからないため、甘い球要求で甘い球を投げられないでボールにしてしまったり、ボール球要求でストライクが欲しがり甘くなってしまって痛打される」ということが大きいと思います。そのある程度のスパンの制球の悪さによるチームの不調を我慢して適切な捕手を使い続けることができるかどうかで強いチームの種を蒔いて芽を出していくことになると思います。

 

しかし、そのチームの不調を我慢しきれずに元の捕手に切り替えたとすれば、その芽を摘んでしまうことになります。

まだ元の捕手の「とにかく厳しいストライクゾーンに投げればそれでいい」という配球の方が理解しやすいでしょうから。

でも、そうはいってもストライクゾーンであることは確かなので、厳しいコースでもジャストミートされることは否定できません。だからローリスクと見えて、実はハイリスクだったという結果が出ることがあります。

 

新任の監督で単年契約というのはほぼありません。つまり、1年目というのは、その捕手を切り替え、チームの不調を我慢することが許される年度だと思います。その1年目に我慢できなければ、2年目以降では結果が求められるので、その我慢は許されないのです。

 

総括すると、

「基本的に三振狙いでインプレーになるにしても弱い打球にとどめられる(強い打球になるのは大抵投手の制球ミスの場合に限られる)捕手」というのは、「直感による仮定と、直感による結果の定義の間に、束縛条件をきちんと守りながら論理展開をすることができる」と言えると思う、ということです。

そのような捕手が正捕手であれば、スコアラーからのデータの抽出もより適切な方向に行くと思いますし、

各方面で良い循環が生まれるのではないかと私は思います。

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