「栄城(えいじょう)」の誇りを胸に (佐賀西高校)
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Mr.black
2015年03月27日 10:13 visibility17002
ブルースタジアム(佐賀市立球場)を後にして次に向かったのは「みどりの森球場」(県営球場)でした。
今回の遠征のテーマは「佐賀の旧藩校の試合を観戦すること」。
この県営では第2、第3試合を観戦したのですが、都合で第2を飛ばして第3試合から書きます。
第3試合は「龍谷ー佐賀西戦」。
1塁側:龍谷高校。
龍谷というと高校野球では「旭川龍谷」の方が有名ですが、この佐賀の龍谷こそが本家本元です。(下記参照)
佐賀龍谷:1878年設立
旭川龍谷:1958年設立
白ユニに紫基調。漢字横書きで「龍谷」。
以前私が見た時は縦書きの「龍谷」と横書きの「竜谷高校」という2パターンでしたが、また変わっていました。
3塁側:佐賀西高校。今回最大のお目当て校でした。
佐賀藩藩校「弘道館」を起源(前史)とする伝統校。当初は弘道館跡地に設立され、その後少し位置が変わったものの現在も佐賀城内に学校があります。
佐賀城の別名が「栄城(えいじょう)」であることから同校も「栄城」と呼ばれています。これは前回紹介した唐津東の「鶴城(かくじょう)」と同じです。
特筆すべきはユニの胸マーク。「EIJO」となっています。
現在高校野球のユニフォームのマークは「校名・校章・地名以外は不可」になっているのですが、特例的に認められているのです。
この学校の歴史と伝統がいかに凄いかという証しでもあります。
なお、帽子のマークは西高を表す「N」です。
歴史を簡単に書くとまず起源は佐賀藩藩校「弘道館」。
その後弘道館は廃止されますが、跡地に1876年(明治9年)「佐賀変則中学」として復活。以降、学校の統廃合などで「佐賀中」「佐賀第一高校」「佐賀高校」「佐賀西高校」と校名変更しました。
余談ですが佐賀高校から佐賀西高校に変わる際には学校が3校に分離されました。
それが佐賀北高校と佐賀東高校。佐賀北は全国制覇しましたね。また、佐賀東は私は甲子園で実際に観戦したことがあります。(佐賀東は夏の甲子園に2回出ていますが、私が観戦したのは1992年の第74回大会。)
旧佐賀中、佐賀高時代に甲子園に7回出場歴がありますが、その歴史はこの西高が受け継いでいます。しかしながら分離以降に北高・東高が甲子園に出ているにも関わらず西高だけが唯一出場できていません。
では西高は弱いのか?というと決してそうではありません。近年佐賀大会の決勝や準決勝までは進んでいますし、センバツの21世紀枠の候補になったこともあります。
この春季大会もシード校になっています。甲子園まで本当にあと一歩というところなのです。
随分説明が長くなってしまいました。試合の方ですが、意外な展開になりました。
先制のチャンスは佐賀西でしたが、無得点。
すると1回裏から龍谷の強烈な攻撃に遭ってしまいます。
龍谷の打者のスイングは速く、力強かったです。西高は3投手をつぎ込んでしのごうとしましたが、いずれも捕まってどんどん失点します。
相撲で例えれば体格のいい力士の圧力をまともに受けてそのまま一気に押し出されてしまったという感じ。
おそらく普段通りの野球が出来なかったのでしょう。
苦しい展開が続く西高。予想外でした。
結果は11-2で龍谷の7回コールド勝ち。
まさかの大敗にガックリ肩を落とす選手も。
しかし切り替えてもう一度立て直しましょう。夏まで3ヶ月以上あります。
鍛え直して甲子園にやって来る日を関西で待っています。
頑張れ、栄城。
最後に
佐賀には鶴城・唐津東、栄城・佐賀西の他に鹿城(ろくじょう)・鹿島高校、黄城(おうじょう)・小城(おぎ)高校があります。
鹿島高校は鹿島鍋島藩の藩校「養花堂」が起源(前史)。
小城高校は小城藩の藩主邸跡地に校舎があるのでこう呼ばれていますが、ここは藩校が起源というわけではないようです。
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