消えた球場(30) 和歌山・向ノ芝球場
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Mr.black
2014年01月10日 11:52 visibility3018
ようやく野球に関する日記です。(苦笑)
今回レポートするのは和歌山県立向ノ芝球場。(「むこうのしば」と読みます。)
この球場の存在を知ったのはちょっとした会話からでした。
数年前高校野球秋季近畿大会が和歌山の紀三井寺球場で開催されていて観戦に行きました。紀三井寺球場は駅から遠く、30分程度歩かないといけません。その時は小雨が降っていて風もあり、歩くのが割合大変だったのでタクシーを利用しました。
車中の運転手さんとの会話は下記のようなもの。
私: 紀三井寺球場は駅から遠いですね。
運: そうですね。昔は和歌山市内の中心部に球場があったんですがね。
私: えっ?そうなんですか。どのへんにあったんですか?
運: いや、私も詳しい場所は知らないのですが、和歌山駅の近くにあったみたいですよ。
そのまま数年が経過したのですが、ずっと気になっていたので調べてみました。
するとJR和歌山駅の北西徒歩10分程度の場所にあったということが判明。そこで今回和歌山に用事があったついでに立ち寄ってみました。
現在は県立の体育館になっていました。
野球場の名称は向ノ芝球場ですが「向之芝」と書いてある資料もありました。
建設されたのは1953年(昭和28年)ということ。県内初の本格的な公営硬式野球場だったようです。アマ球場ですが、ごく少数ながらプロ野球開催もあったようです。
しかしその寿命は短く、10年後の1963年に閉鎖解体されてしまいました。紀三井寺球場が建設される為にこういう措置になったのですが、新球場の建設が遅れなおかつ向ノ芝球場を先に解体してしまったので県高野連はかなり焦ったそうです。
結局紀三井寺球場(上記写真)は予定よりかなり遅れて1965年春に完成し、それまでの間は桐蔭高校のグランドなどで大会が行われたらしいです。
市内中心部の便利な場所にあったのに何故不便な紀三井寺に球場を移転したのかは不明です。もしかしたら香川の高松中央球場のように球場が狭くて打球が場外に飛び出て危険という理由でもあったのかもしれませんが、個人的には惜しいと思っています。
なお球場のスペック情報は見つかりませんでした。基本アマ球場でおまけに寿命が短かった為か情報が極めて少ないのです。
そしてこの敷地には野球場だけでなく陸上競技場も併設されていました。
古い航空写真と現状を比較すると陸上競技場が敷地前面及び体育館の前半分くらいを占め、野球場は後ろ半分と体育館後方の紀陽銀行の事務所・寮(茶色の建物)あたりに建っていたと思われます。
そして銀行事務所の道を挟んだ南隣には向之芝公園がありますが、この敷地の一部も野球場だったのでは?と思います。
これは体育館の見取り図。
野球という一競技でなく様々な屋内競技に利用できるので市民にとってはこちらの方がよかったのかもしれませんね。
野球場が消えて寂しく思うのは野球好きだけでしょう。それが当たり前。だからこそ野球好きの方々には野球場を大切にしてほしいと願っているのです。「消えた球場」シリーズはそういう思いで書いています。
シリーズもこれで30回目になりました。またどこかの跡地に現れるつもりです。
おまけ。
これはJR和歌山駅と南海和歌山市駅を結ぶ電車。途中に「紀和駅」がひとつあるだけの非常に短い路線です。(JRの路線)
しかしご覧のように華やかなラッピング車両が走っていて「万葉の四季」と名付けられています。
これはJR和歌山駅構内の階段。猫の足型が一方向に向けて延々と続いています。
「たま電車」で有名な和歌山鐡道が構内で連結しており、そこまでの道しるべとしてこの足跡が付けられているのです。
以前乗車した「たま電車」。
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