消えた球場(26) 小倉豊楽園球場
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Mr.black
2013年03月31日 14:23 visibility4935
前回の日記で書きましたように「小倉到津(いとうづ)球場」は第二次世界大戦中の動乱期に消滅してしまいました。野球が敵国のスポーツだったということも影響したのかもしれません。
しかし野球は日本人の嗜好に合ったスポーツだったのでしょうね。戦争が終わるとプロ野球や中等学校野球(高校野球)などがすぐに復活しました。
この流れを受けて小倉地区に野球場の再建を求める声が大きくなってきました。
それに応えるかのように小倉市浅野町(現:北九州市小倉北区浅野)に新たな野球場が建設されました。
それが「小倉豊楽園球場」です。「豊楽園」は「ほうらくえん」と読みます。
元々この地域は工場を誘致するために戦前から大規模な埋め立て開発が行われていたそうです。戦前はあまり誘致が進まなかったようですが戦後に開発がされていき、その流れの中で1948年(昭和23年)に球場が建設されました。
この豊楽園は陸上競技場を転用した到津とは異なり、プロ野球仕様の本格的な専用野球場でした。収容数は3万人だったということです。
2リーグ分裂後には西鉄クリッパーズ(のちライオンズ)が準本拠地として利用。さらに後年には大洋ホエールズも試合を行っていました。
到津球場のあとを受けて戦後の北九州地区の野球人気を支えていった球場だったわけです。
しかし思わぬ状況が発生します。国鉄小倉駅が移転することになり、その移転先が豊楽園球場周辺に指定されたのです。それまでの小倉駅は現在の小倉駅の西側に位置していました。(現在の西小倉駅周辺が旧・小倉駅だったそうです。)
この小倉駅移転事業により1957年(昭和32年)のシーズンオフ後、豊楽園球場は閉鎖・解体されてしまいました。
上の写真は2枚とも現在のJR小倉駅北口周辺。
豊楽園球場はこの駅北口から「リーガロイヤルホテル小倉」辺りに建っていたと言われています。
上2枚はリーガロイヤルホテル周辺。
しかしこの周辺にはかつてこの地に豊楽園球場があったという記念碑なり看板なりは何もありません。
戦後の北九州の野球復活を支えたプロ仕様の立派な野球場があった場所にも関わらず何も痕跡が残されていないというのは寂しい限りです。願わくば小さなものでいいので記念碑なり掲示板なりを作ってほしいものです。
僅か10年で消滅してしまった豊楽園球場。しかしその遺志を受け継ぐべくすぐに新しい球場が建設されました。それは小倉市営球場、現在の北九州市民球場です。
完成は1958年(昭和33年)ということ。豊楽園閉鎖が決まった時点ですぐに建設が始まったわけですね。このあたりはとても手回しが良かったと思います。
戦前の到津、戦後の豊楽園、と続いた系譜は現在も北九州市民球場が受け継いでいます。しかし建築後50年以上を経た同球場。プロ野球の利用が減少するなどの状況を見ていると今後どうなっていくのかやや心配な面もあります。願わくばこれからも存続していって欲しい野球場です。
今回は時間の都合で北九州市民球場へは行けませんでした。いつかチャンスがあれば訪れてみたいです。
ところで今回の遠征ですがいつもの日帰りではなく、前日の深夜に小倉へ到着。宿泊して翌早朝から行動しました。その宿泊先はリーガロイヤルの近くにある「ブルーウェーブイン小倉」というホテルでした。
球場バカとしてはかつて豊楽園球場があった近辺に泊まりたいと思ったのです。(でもリーガロイヤルは高いので無理でした。苦笑)
ホテル名でおわかりでしょう。オリックス系のホテルです。エレベーターの敷物はこんな感じ。
しかしブルーウェーブという名称も消えてしまいましたね。
↑ デザイナーズ・ホテルということでオシャレな部屋でした。でも宿泊料はリーズナブル。(笑)
今回の遠征記はこれで終了です。長い話になりましたが、読んでいただきありがとうございました。
超不定期シリーズ「消えた球場」。いつになるかは分かりませんが、また機会があれば跡地徘徊してみます。
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