大阪ドームの移り変わり

  • Mr.black
    2014年02月18日 11:31 visibility6653

大阪ドーム(京セラドーム大阪)が完成したのは1997年3月。

既に国内には東京ドームや福岡ドームがあり、目新しさは無くなったとはいうものの、やはり地元にドーム球場が出来るというのは朗報だった。(ナゴヤドーム完成は大阪ドームとほぼ同じ時期)

普段土日が休めなく、平日ナイターもなかなか行けなかった当時の自分にとってはせっかく掴んだ観戦の機会が雨で流れないドーム球場の完成は何よりも嬉しかった。


初めて行ったのは完成間もない試合の無い日。当然観戦は出来ないが場内のテナントや周辺の娯楽施設「パ・ドゥー」は営業していたので偵察を兼ねて訪れた。それほど「待ちきれない」気持ちだったのだ。同じ考えの見物客は多かった。

建物外側にあるガラス張りのエスカレーターで最上階へ。そこには「三田屋(さんだや)」がテナントとして入っており、同店で作られた地ビールを飲んだのが最初の思い出。


しかし当初から不安はあった。ホームチームが近鉄だったこと。日生・藤井寺時代を知っているファンとしては「これほどのキャパを連日埋めることが出来るだろうか?」、と。

また周辺施設の「パ・ドゥー」もリピーターが出来るほど魅力があるとは到底思えなかった。


1年目~2年目のドームはいつ訪れても盛況だった。近鉄ファンでありながら正直信じられないほどの観客の入り。(苦笑)

しかし3年目あたりからやはり観客動員に陰りが出始め、年々それがひどくなっていった。

やがて近鉄は球団合併で消滅。「ドームが完成して喜んでいたが、それがむしろ球団の寿命を縮めたのだろうか?」と思うと切なかった。遅かれ早かれいずれ球団の身売りか合併はやって来たと思うが・・・。


オリックスBsになった後年、外野の観戦レストランを利用したらテラス側に居た客は自分たち夫婦だけで貸切り状態みたいだったこともあった。


その間、場内のテナント・周辺のテナントも歯抜けになったりして「寂れた感」が徐々に強くなっていき、ついに周辺施設はなくなりドームだけがポツンと取り残された。


周囲は長い間寂れていたが最近イオンがやって来て、更にホームセンター(ビバホーム)も隣接され、活気は多少戻りつつある。

それはいいのだが、イオンとホームセンターという「ありきたり感」はぬぐえない。まあこの際贅沢は言うまい。(苦笑)


肝心のドームは・・・・・阪神戦や巨人戦以外は相変わらず閑古鳥であることが多い。

昨年はオリックス戦を4試合観戦したが全て招待券での入場だった。招待券(チケット引換券)はよく貰い、しかも「〇月〇日~△月△日の間有効」という1ヶ月以上幅がある物。チケットが毎回余裕でゲット出来るのが複雑な気分。

そして以前日記で書いたように近年オリックス戦での上段席は大きな広告幕で覆われてその部分が空席であることが目立たないようにしてある。結局キャパが大き過ぎたのだろう。



今年で18年目を迎える大阪ドーム。

大阪に唯一残ったプロ野球場はこれからどう変わっていくのだろうか?

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