天然芝の後楽園球場
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Mr.black
2014年02月15日 13:37 visibility9898
東京の後楽園球場。かつて巨人・日ハムが本拠地にしており、他にも多数の球団がホームゲームを開催した「プロ野球のメッカ」的なスタジアムでした。
後楽園は日本で初めて人工芝グランドを採用したので一定年齢以下の方にとっては「人工芝球場」のイメージが強いと思われます。しかし下の写真のように天然芝と土のグランドだった時代はちゃんとありました。球場の歴史としては当然ながら天然芝時代の方が長かったのですね。
ちなみにグランドが全面人工芝になったのは1976年(昭和51年)のことです。
写真は1973年(昭和48年)の巨人ー阪神戦。この当時の後楽園は内野にも天然芝が張られていました。
おそらくは大毎オリオンズの本拠地「東京スタジアム」に対抗したのだと思います。
後楽園が内野に天然芝を張ったのは1965年(昭和40年)。
東京スタジアムはそれよりも前、1962年(昭和37年)に内野天然芝球場として建設されました。完成当時、大毎の永田オーナーが「どうじゃ、後楽園も真っ青じゃろうて!」と笑い飛ばした逸話が伝えられています。
「売られた喧嘩を買ったのでは?」、と個人的に思っています。
写真は阪神・江夏VS巨人・王、の当時プロ野球屈指の対決シーン。(敬称略)
ところでこの試合、写真の時点では7-0と阪神が一方的にリードしています。しかしこの後、巨人が猛反撃。追いつ追われつの凄まじい打ち合いになりました。
結果は10-10の引き分け。この後、阪神は甲子園での最終決戦で敗れて巨人のV9を許してしまいます。
もしこの試合で投手陣が踏ん張ってこのまま勝っていたら・・・・・全ては「たられば」ですが、悔やんでも悔やみきれない引き分けになったわけです。
(この年の夏頃にも甲子園で阪神・池田選手の「世紀の大落球」がありましたがね。つまりあまりにも痛い試合が2つもあったわけです。)
これは1973年当時の後楽園のスコアボード。
1970年(昭和45年)から採用された電光掲示板。当時はプロ野球の本拠地球場といえどもボードはめ込みの手動式スコアボードがほとんどだったので画期的に感じました。
現在、東京ドームではリリーフ投手はベンチから歩いて出てきますが後楽園では内野と外野スタンドの切れ目からこのようなオープンカーで登場しました。
先日スカパーで偶然視聴した巨人ー阪神の古い記録映像。リアルタイムで見ていた時代なので懐かしかったです。
たった1回だけでしたが、この後楽園球場で観戦出来たのは貴重な思い出になっています。(それは1976年のことでした。その時のグランドは既述の通り人工芝。)
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