イートン校に学べ (刈谷高校)
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Mr.black
2014年03月23日 11:09 visibility3364
前回の日記で書いた刈谷高校についてもう少しだけ突っ込んでみます。
試合会場だった刈谷球場とは駅(名鉄「刈谷市駅」)を挟んで反対方向に学校があります。
創立は1919年(大正8年)。「愛知八中」という校名でした。
その後「刈谷中学」→「刈谷高校」と校名変更。県内でも歴史の古い伝統校です。
ところで野球部の創部はかなり遅かったです。
それは初代校長がイギリスの名門校「イートン校」を模範とする方針だったことと関係があります。
イギリスの学校ということもあるのでしょう。イートン校はサッカー(あるいはサッカーに似た独自競技)が校技でした。
そこで八中でもサッカーが校技とされ、逆に野球は禁止されたということです。イギリスではクリケットは行われるものの、野球はどちらかというと「アメリカのスポーツ」として当時は蔑視されていたように私は感じています。
「イートン校に学べ」という方針の同校がサッカーを奨励し、野球を排除したのは当然の流れだったのでしょう。
刈谷高校で野球部が創部されたのは学校が出来てから30年後のことでした。(1948年創部)
戦後アメリカが進駐してきたことで野球に対する感覚が変わったのかもしれません。これはあくまでも個人の推測ですが。
そして野球部創部後30年を経て刈谷高校は甲子園にやって来ました。
1978年(昭和53年)の第50回センバツに初出場。その初戦はあの津田恒美投手擁する山口・南陽工業。
結果は津田投手に打線が抑えられ1-3で敗戦。これが今のところ刈谷高校唯一の甲子園となっています。
その後、県大会では何度も上位進出するもののなかなか壁を破れない刈谷高校。
2009年夏に決勝まで行きましたが中京に敗退。
愛知の私学強豪を倒して甲子園を掴むことが出来るのか?
刈谷高校・岡崎高校・旭丘高校・など公立勢の健闘をこれからも期待しています。
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