滋賀県の夜明け 膳所高校
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Mr.black
2013年07月23日 12:45 visibility11929
前回の日記で遠征先を沖縄と勘違いさせてしまい申し訳ありません。(汗)
実際にはもっと近場の滋賀県でした。
まだ千葉遠征のレポートが若干残っているのですが、順序を変えてまず滋賀遠征記から書いていきます。
最初は愛知県か岡山県のどちらかを考えていたのですが、福岡・千葉と遠出が続き体力的にきつかったので滋賀県を選んだしだいです。
訪問したのは彦根球場。
実は今回私的においしいカードがあったので皇子山(おうじやま)球場ではなくこちらにしました。
第一試合の対戦カードは「野洲ー膳所戦」。(「やす」と「ぜぜ」です。)
こちらは1塁側:野洲高校。
センバツに一度出たことがある学校ですね。
白ユニに細い濃紺二本ライン。左胸に校章、その下に「YASU」とマークが入っています。
これが校章。
この学校はしかしながらサッカーの方が有名でしょうか?
サッカーには疎いのですが、以前「セクシーなサッカー」を標榜して全国制覇したことがあったと思います。「セクシー」の定義はいろいろあるでしょうが、「華麗で美しいサッカー」という意味なのでしょうね?(違っていた場合はご指摘ください。)
そして今回の私的お目当てはこの学校。3塁側:膳所高校。
滋賀県屈指の古豪。県有数の進学校でもあります。
ユニフォームは純白。帽子・シャツ・ストッキングも白一色。胸と帽子に濃紺で「Z」と入っているだけの究極のシンプルデザインです。袖にも何もマークはありません。
47都道府県それぞれで最初に全国大会に出場した学校は文字通り「その都道府県の歴史の扉を開けた学校」です。
滋賀県の場合はこの膳所高校がそれにあたります。(当時は膳所中学。)
昭和9年(1934年)、第11回のセンバツに滋賀県代表として初めて甲子園の土を踏んだのです。
滋賀県の戦前の甲子園出場はこの時の膳所と5年後にセンバツに出た大津商業の計2回のみ。
夏の初代表は戦後昭和28年(1953年)の八日市高校というわけですから、いかに貴重な出場だったかがわかりますね。
滋賀県の夜明けを招いた学校と言ってもいいでしょう。
春2回、夏2回の甲子園出場歴のある膳所高校。
しかし最後に出たのは夏の第60回大会。もう35年も前のことなのですね。
その時には群馬の桐生高校に0-18という大敗。(桐生第一とは別です。桐生高校は群馬屈指の名門校。)
大敗の後、監督や選手たちが「いつかこの雪辱を果たしたい」と語っていた記憶があります。
試合前の円陣で手をつなぐ野洲高校。やはり最近はこういうことをやっているのですね。
先日福岡大会で筑陽学園がやっているのを見たのが初めてでしたがこれで2回目です。
試合はまず野洲が先制します。3回にソロHRで1点先取。
初回から野洲が押していたので「これで膳所は苦しいか?」と思いました。
しかしその裏、膳所の2番打者が3ランHRをライトスタンドに放ち逆転。
これで形勢は一気に膳所に傾きました。
焦ったのかその後野洲は攻撃が徐々に単調になってしまった感がありました。
片膝で円陣を組む野洲。このスタイルはあまり見ませんね。
どことなく忍者っぽい?
膳所はその後も攻撃の手を緩めず。粘っこい攻めに野洲の投手が失点を重ねていきます。
途中では野洲の投手がボークで失点するなど完全に膳所ペース。
結果的に8-1で8回コールドという予想外の展開で膳所の勝ち。
野洲がここまで脆くも崩れるとは思ってもみませんでした。高校野球の勝敗の行方は一旦流れがどちらかに傾くと止められないということなのでしょう。
滋賀県屈指の名門校、膳所。
しかし甲子園ではまだ未勝利です。桐生に大敗した借りもまだ返せていません。
近江・北大津・八幡商業・比叡山・・・・・他にも県内には強豪校はたくさんいます。
それらの壁を打ち破れる日が来るでしょうか?
甲子園に「Z」のユニフォームがいつか返ってくることを願っています。
そして悲願の1勝も掴んでほしいです。
しかしながら勝つ学校があれば必ず負ける学校がある。
これは敗戦後の野洲高校。重い足取りでガックリ肩を落としながら去っていきました。泣いている選手もいます。
負けて球場を去る時、彼らの胸中にどんな感情が湧いているのでしょう?
これは千羽鶴で作られたユニフォーム。
女子マネにとっても夏が終わった瞬間ですね。
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- 事務局に通報しました。
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