これが寝屋川球場(京阪グラウンド)!
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Mr.black
2011年02月27日 13:08 visibility3555
今年の1月末に「消えた球場シリーズ第19回」でレポートした寝屋川球場(京阪グラウンド)跡地。
その時には写真が手に入らなかったのですが、数日前偶然にも発見出来ました。
朝日放送のバラエティー番組の中で寝屋川球場が取り上げられていて、そこで球場の写真が画面に出されたのです。
これがTV画面を撮影したものです。
手に入らないと諦めていたのですが、思いがけず目にすることが出来ました。
最後のほんの数分だけ観たのでこの写真がどういう状況のものかは分りません。
ただ、ここではかつて中等学校(高校)野球大阪大会が開催されていたことがあるので、その開会式の写真ではないかと思われます。
内野スタンドは20段程度はあるでしょうか?その全てを屋根が覆っています。
甲子園が完成するまでは日本一を誇る規模の野球場だった、とも言われている旧・寝屋川球場。当時のものとしてはなかなか立派なスタジアムです。
このスタンドを大きくしてセンバツを誘致、さらにはプロ野球を作ってリーグ戦を、と当時の関係者が夢を描いたのも頷けます。
しかし京阪は本業の運輸を重視する政策を取り、結果的には関西大手私鉄5社の中で唯一プロ野球チームを持てませんでした。
↑ 写真の左上はコメンテーターの顔が写っているのでカットさせていただきました。
幻に終わった電鉄リーグ。今回コメンテーターのお一人が「跡地に記念碑を造ったのは悔しかったからではないか?」と語っていました。私も同感です。
また一方で司会者(ハイヒールリンゴさん)が「全ての二択を選択ミスした」と語りました。
しかしそれはどうでしょうか?
結果が分っている後世の人間は何とでも言えますが、当時の京阪関係者としては最善の選択と思って選んだことなのでしょう。(あるいは苦渋の決断だったかもしれません。)
私自身「寝屋川球場が拡張されず、更にその後売却されてしまったことは非常に大きな関西野球界の損失である」とは思っています。
しかし当時の事情も考慮するとやむを得なかった部分は多々あります。
「惜しかった」、「もったいなかった」、とは思いますが、「愚かな」と考えるのは当時の関係者の方々に気の毒ですね。
(番組内で「愚かな」とは決して言っていませんでしたが、そう取れるような口ぶりでしたので。)
野球場は跡形もなく消滅しましたが、代わりに京阪の鉄道は今でも残っています。
阪急京都線も同様に活躍しています。(阪急京都線は元々は京阪の所有だった。)
失う物もあれば残る物もある。
残った物は大切にする。
そして無くなった物は誰かが時々思い出して(または掘り起こして)偲んであげる。
これが私の考え方です。
そして時間が許す限り掘り起こしの旅を続けていこうと思います。
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