我的愛球史 第27話 もうひとつの9連覇

 僕は阪神ファンですが、今日は巨人の話題です。

 しかも2軍のお話です。

 僕が野球を見始めた頃(昭和60年代)から巨人だけは他球団に比べ断然戦力が厚い気がしていました。

 本当は投手力は広島、1軍レギュラーの戦力では西武・・・という風に必ずしも巨人が最強でなかったのかも知れません。

 しかし、ここに1つの事実があります。

 巨人の2軍は1987年から1995年までイースタン・リーグで9連覇しているのです。

 毎年の秋に、ニュース番組で強い巨人の2軍が取り上げられることが恒例のようになっていました。

 阪神ファンの僕としてはそれがうらやましかった。

 2軍が強い、それが将来のその球団の未来の明るさに思えたからです。

 そして、その2軍の強さを我々に衝撃的に見せてくれたのが1988年に1軍に昇格すると短期間でホームランを量産した呂明賜選手ではなかったでしょうか。

 また、1989年には巨人の2軍でエース各だった本原正治選手が山田武史選手とともに、低迷していたダイエーホークスに緊急金銭トレード。

 その後、本原選手は2年に渡りダイエーで先発の柱として活躍。

 巨人の2軍は何て層が厚いんだ・・・。

 誰もがそう思ったのではないでしょうか。

 そして、1989年に活躍した井上真二選手。

 前半戦で順調にホームランを飛ばし、新人王の最有力と目されながら、我ら阪神のマット・キーオ投手から受けた死球により負傷。

 惜しくも新人王を逃しました。

 そして、その後、89年ほどの活躍は1軍では見られませんでした。

 しかし、井上選手は2軍でその後も豪打を振るい通算125本塁打という大記録を打ち立てました。
 
 まるで、ケビン・コスナー主演の映画「さよならゲーム」のクラッシュ・ディヴィスのようだと思います。

 その他にも、渡辺政仁選手、佐藤洋選手、加茂川重治選手、松谷竜二郎選手、松原靖選手、大森剛選手など、本当に他球団のファンからするとうらやましい好選手がこの時代、巨人の2軍では活躍されていました。

 また、先にあげた選手の中には請われて他球団へ移籍した選手もあり、阪神ファンの僕としては石井雅博選手が忘れ難いです。

 江川卓さんー小林繁さん以来の阪神ー巨人間のトレードとして話題になりました。

 巨人が2軍でリーグ9連覇を飾っている間、必ずしも1軍が優勝を続けていたわけではありません。

 2軍の充実ぶりが未来の1軍の栄光に必ずしも結びつかないことも、今では分かります。

 しかし、87年から95年までの巨人の2軍の成績は、すべての選手が1軍に食い込むべく必死で努力した結果。

 つまり、あの時代の巨人の2軍は他球団に比べて最高のモチベーションを持ってプレーしてたのではないでしょうか。

 95年以降は巨人の2軍は優勝したり、しなかったり・・・ですが、90年代から2000年代のプロ野球事情と照らし合わせるとこれも興味深い事実だと思います。

 ドラフト制度が度々変更されたり、プロ野球が地域密着を志向し始めたりしたことと合わせて考えると本当に面白い。

 勝手な想像になるので、具体的に僕がこれをどう考えているのか書くことは控えたいと思います。

 しかし、あの時代の巨人の2軍の9連覇に光を当てることは、プロ野球の歴史を考えるうえで大変意味のあることに思えるのです。

追記 私が調べた限り、1987年から1995年までの巨人のイースタン・リーグ優勝は確認できましたが、1986年以前については資料が見つかりませんでした。もし1986年以前から巨人のイースタン・リーグ優勝が続いていたとしたら表題や本文中の表現は正確でなくなることになります。その際は早急に訂正いたします。
 また、この件につきましてご存知の方がおられましたらご教示お願い申し上げます。

 

 
 

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