我的愛球史 第32回 「子連れルーキー2年目に咲く」


 (写真と記事は関係ありません)

 1990年の秋、阪神に一人のルーキーが入団しました。

 大学、社会人の実績は申し分ない左腕。

 即戦力として期待を集めましたが、もう1つ話題になったことは彼が妻帯者でありお子さんもおられたこと。

 「子連れルーキー」だったのです。

 湯舟敏郎選手。

 一家を支える大黒柱が実力勝負のプロの世界に飛び込んだのです。

 さぞや1年目から活躍してくれるだろう、虎ファンは信じていました。

 そして実際に1年目からそこそこの活躍をしていたのですが、2年目の1992年は軒並み好調な先発投手陣の中でも一際冴え渡った投球を見せました。

 何と言っても6月14日の広島戦(甲子園)でのノーヒットノーラン。

 江夏選手以来の快挙にファンは沸きかえりました。

 この試合、真弓選手もこの年唯一のホームランを打って花を添えました。

 最後の打者正田選手が全力で一塁を駆け抜けた時はヒヤッとしましたが、アウトで良かった・・・。

 好調な湯舟選手はノーヒットノーランを達成したこの月6月と、9月にも月間MVPに選出されます。

 しかし、球団史に残る記録を残しながらも、この年の湯舟選手にはどうも悲劇の陰が・・・。

 9月23日の巨人戦(東京ドーム)では斎藤雅樹選手と投げ合い、まさかの1安打敗戦投手となります。

 そして、10月7日の神宮でのヤクルト戦でリリーフ登板し押し出し四球・・・。

 どちらも悔やまれる敗戦です。

 あそこであと1勝しておけば覇権は我らのものだったかも・・・という悔いの残るゲームは、優勝を争ったシーズンには必ずどこかにあるのですが、八木選手の幻のサヨナラホームランの試合も加えて、この3試合は苦い記憶として残っています。

 湯舟選手、この年11勝8敗、防御率2.82 、完封4が光ります。

 92年のあとも、93年に前年を上回る勝ち星の12勝6敗、防御率3.52と投手陣の中で気を吐きます。
 
 しかしその後は負け数が多い投手となってしまい、2桁勝利も1回のみ。

 最後は阪神でなく近鉄で現役生活を終えるなど残念な面がありました。

 しかし92年の悔しさを翌シーズンのモチベーションに変えて戦ってくれた選手として、印象深い投手でした。
 














































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